松中信彦 (c)朝日新聞社
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 今年の5月から年号が平成から令和へと移り変わった。令和最初となるプロ野球のシーズンもあっという間に終盤に差し掛かり、新年号になって初めてリーグ制覇を果たすチームはどこなのか? 首位打者には誰がなるのか? など、“令和初”の称号を手にするチームや選手に注目が集まるが、平成のプロ野球の記憶も未だ鮮明に残っている。そこで、今回は各チームで平成に最も活躍した4番打者を振り返ってみたいと思う。今回はパ・リーグ編。(※打順は回数や打席数をもとに算出)

【写真】「平成で最もカッコいいバッティングフォーム」はこの選手!

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■ダイエー、ソフトバンク:松中信彦

 松中と同じく日本を代表する打者の小久保裕紀との選出で迷ったが、三冠王を獲得したインパクトから松中を選んだ。1986年のバース(阪神)と落合博満(ロッテ)以来となる三冠王とパ・リーグMVPのダブル受賞となった2004年(平成16年)には、打率.358、44本塁打、120打点と圧巻の成績をマーク。出塁率(.464)、長打率(.715)でもリーグトップとなるなど、あらゆるカテゴリーで打撃力の高さを見せつけた。翌年の2005年(平成17年)も46本塁打、121打点で二冠王となり、2000年代序盤から中盤にかけてパ・リーグをリードし続けたチームを象徴する打者となった。時に大舞台で勝負弱さを露呈してしまう場面もあったが、王貞治監督の信頼も厚く、精神的な支柱としての存在も大きかった。

 小久保も通算413本塁打の長打力と、素晴らしいキャプテンシーでダイエー、ソフトバンクの4番としてチームをけん引。平成で最も長い9シーズンで4番を務め、松中と比べても何ら遜色はない。他にも松田宣浩、内川聖一、柳田悠岐ら“国産の4番”が多い印象だが、その中でも松中の存在感はひと際光っていた。

西武:中村剛也

 ここ数年で日本を代表する打者となった山川穂高も、かつては“おかわり2世”と呼ばれていたことからも分かるように、元祖“おかわり”のチームへ与える存在感は計り知れない。2009年(平成21年)から4番を打つようになった中村は、NPB歴代3位となる本塁打王を6度獲得。特に飛ばないボールとして知られる「統一球」が使用され始めた2011年(平成23年)には2位だった松田宣浩(ソフトバンク)の25本を大きく引き離す、48本のホームランをマークし、その長打力がより一層評価されるようになった。打点王にも3度輝くなど、自慢の打棒と勝負強さでチームの勝利に長きにわたって貢献した。

 平成に入ってからは清原和博が長らく座り、それを引き継いだのが鈴木健と、甲子園のスターが4番を務める歴史が続いた西武。その後は、2002年(平成14年)に当時のシーズン最多タイ記録となる55本塁打を放ったカブレラが登場するなど、名門らしく4番に座る打者たちは抜群の破壊力とカリスマ性を兼ね備えていた。その中でも、最も安定してアーチを放ち続けた中村を選出した。

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ロッテは突出した打者がいないが…