■日本ハム:中田翔

 当時の記録だった高校通算87本塁打の実績を引っ提げて鳴り物入りで入団し、昨シーズンまで8シーズン4番を任された中田。キャリア序盤は苦しむ場面もあったが、梨田昌孝政権時代の2011年(平成23年)から4番に抜擢され、2014年(平成26年)には100打点、2016年(平成28年)には110打点を挙げ、2度のタイトルを獲得。本塁打こそ30本の大台に乗ったのは、2015年(平成27年)の1回のみだが、昨年までに4度100打点を超える勝負強い打撃を披露した。

 平成は、1990年(平成2年)からウインタースが5シーズン、1999年(平成11年)からはオバンドーが4シーズン、2004年(平成16年)からはセギノールが4シーズン務めるなど、日本ハムは外国人助っ人を上手く4番で起用してきた歴史がある。だが、高校時代のスケールの大きさを考えると少し物足りない感じはするものの、しっかりとプロ入り後に成長し、4番に定着した中田に勝る存在はいない。

オリックス:ニール

 1990年(平成2年)から4シーズンに渡って4番だった石嶺和彦とも悩んだが、仰木彬監督の指揮のもと、2年連続でリーグで優勝を果たした時代の4番ニールを選出した。入団1年目の1995年(平成7年)から4番で起用されたニールは、初年度にリーグ2位となる27本塁打をマークすると、翌年の1996年(平成7年)にはともにリーグトップとなる32本塁打、111打点をマークし、2年連続となるパ・リーグ制覇に貢献。日本シリーズではわずか3安打ながら、そのいずれもがタイムリーとなり、MVPを受賞するとともにチームを平成唯一の日本一へと導いた。

 平成で最も4番を固定するのに苦しんだチームといってもいいオリックスは、2000年(平成12年)にイチローが務めたこともあった。2011年(平成23年)には、前年に33本塁打でタイトルを獲得したT-岡田が4番に座り、若き大砲の時代到来を予感させたが、定着とはならず。平成最後の年となった2018年(平成30年)には吉田正尚が任され、今後の飛躍は期待したいが、勝利への貢献度からもニールが最も評価に値する。

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