新感線公演『蛮幽鬼』も後半戦に突入、大阪公演が始まりました。
偶然、同じ時期に大阪で友人の結婚式があったので、そのまま初日までホテルに3泊ほどしていました。
夕方の18時から初日の本番が始まるのですが、その前日も同じくらいの時間にゲネプロと呼ばれる通し稽古を行います。衣装や小道具、音効、照明から舞台の転換まですべて本番と同様に進行するもので、違うのはお客さんが入っているかいないかだけの、最終リハーサルです。
東京公演が終わったところで、若干台詞を直したりしているので、ゲネプロで確認しなければならないのですが、それまでははっきり言って、脚本家なんてすることはない。
楽屋にいても『薔薇とサムライ』の台本はまだか攻撃を受けるだけ。直接言葉で言われるし、言われなくてもスタッフ達の視線が痛い。
だったら台本書いてるほうが、たとえ書けなくても書こうという努力をしてるほうがお互いの幸福だろうと、街に遊びにも行かずホテルに籠もって自主缶詰めしてました。
せっかく大阪にいたのだし、遊びに出てれば潜伏中の市橋容疑者とどこかでばったり出くわしたかもしれません。ひょっとしたら懸賞金の分け前にあずかれたかもしれないと、今になってみればちょっと残念な気がしますが、まあ、まだ顔写真が出る前だったので、たとえ出くわしたとしても誰だかさっぱりわからない。そんなくだらないこと考えてる間に少しでも台本書きなはれやと、新感線の制作のS女史に叱られそうです。
ただ、部屋に籠もっていてスラスラ原稿が書けるのならば、誰も苦労はしない。作家は逃げないし編集者も張り付いたりしなくていい。印刷所の担当は休日返上して輪転機回さなくていいし、出版社の営業も納品が遅れて取次にお詫びの電話を入れなくてもいい。みんなが幸せになれるわけですが、残念ながらそうは問屋が卸さない。
書き始めてはいるものの、今は物語も登場人物もまだはっきりと見えてはいない。大まかな方向性やシーン、キャラクターのポジションなどのイメージはありながらも、探り探り書き進め、途中で止まり、後戻りするという時期なのです。
時間のわりに枚数は行かないが、頭の中では後半の展開やそこにいたる伏線、各役者の見せ場など、縦糸横糸張り巡らせてタペストリーのように台本を組み上げていっているのですね。
実は僕は、ホテルに缶詰という行為をあまり信じてはいませんでした。
家にいたってホテルにいたって、書ける時は書ける書けない時は書けないという考えだったのです。
もう10年以上前、一度だけテレビドラマのシナリオを書いたことがあって、その時に、半ば強引にホテルに缶詰にさせられました。その時は、正直、あまり効果的と思えなかったのですね。家にいても同じくらいのペースで書けるのになあと思っていた。ホテル代使うくらいならその分ギャラを上乗せしてくれたほうが嬉しいなあなどとも考えていたくらいです。
ところが今回は、他には何もしないで、ただ台本のことだけを考えている時間というのが心地よかった。
ちょうど、全体のイメージを固める時期だったからかもしれません。
他に気を散らすことなく、ただずっと『薔薇とサムライ』に集中できたのがよかったのかもしれません。
正直、パソコンに向かっている時は、ゲネプロに行かずにこのまま台本書いてたいなと思う瞬間がありました。
もっとも、それはほんの一瞬で、劇場に行けばたちまち『蛮幽鬼』の世界に浸ってしまうのですがね。
ただ、ホテルの缶詰が有効な時があるというのは、意外な発見でした。
まあ、あまり積極的にやりたいとは思いませんが。
できるだけそんな切羽詰まった状況にはなりたくないですね。