またまた前回の続きです。

「『泡姫シルビア』の二人の解説者事件」は、意外なところから解決しました。

都筑道夫(つづきみちお)氏の『泡姫シルビアの華麗な推理』の文庫版で、目次と本文で解説者の名前が違っているのは何故かという話です。

目次は"淡路瑛一"、それが解説の本文では"矢田省作"になっている。

淡路瑛一が都筑道夫氏のいくつかある変名の一つだというのはかねてから知っていたのですが、前回の原稿を書いたあと、念のために"矢田省作"を検索してみたのです。   

そしたら、あっという間に真相にたどり着いてしまった。

『泡姫シルビア』の新潮文庫の担当は、大森望(おおもりのぞみ)さんでした。

今では文芸評論家・翻訳家として有名な彼ですが、当時新潮社の編集者だったのです。

この時の回想が、彼のWEB日記の2004年2月25日付けに描かれています。

一般に公開されているものなので、リンクも張りますが、ここにも引用しておきます。

"新潮文庫勤務時代、大森は都筑さんの担当をおおせつかり、1986年からの数年間は、東中野のお宅にもわりと足繁く通ってました。最初の仕事は、『トルコ嬢シルビアの華麗な推理』の文庫化にあたって、タイトル変更の相談をしたこと。ちょうどその2年ばかり前、トルコの人の抗議を受けて、特殊浴場の通称がトルコ→ソープへと一斉に変わったんでした(→「トルコ風呂考」)。

「ソープ嬢とかソープ・レディなんてえ言葉は使いたくないからねえ」とおっしゃって、都筑さんがしばし長考。最終的に「泡姫シルビア」に落ち着いたのはご承知の通り。

ちなみにこの文庫版、目次と解説ページで解説者名が違っちゃってるんですが、これはどっちも都筑さんの筆名。矢田省作っていうのは「さくしやだよー」のアナグラム。これはたしか、最初、淡路瑛一(『の舌に釘をうて』の主人公の名前))名義で原稿をもらって、その後、「やっぱり矢田省作にします」と言われて本文を直したのに、粗忽な担当編集者が目次を直し忘れた----ということだったような気がする。それとも先に本文が校了してたんだっけかなあ。もうよく覚えてなくてすみません。"

うーん。やっぱり前回の原稿書く前に検索するんだったなあ。

日常の謎というのは、解けてみるとあっけないもんです。

よもや、知り合いが犯人(?)とは思わなかった。

大森さんとは、ガイナックスの忘年会などで何度もお会いしています。

実は、このことがわかったその翌日に、とあるパーティでバッタリ彼に出くわしたのです。1年半ぶりくらいでしょうか。

できすぎた話なのですが、本当だから仕方がない。

まさに天啓と、本人に直接確認したところWEB日記と殆(ほとん)ど同じ回答が。

裏まで取れちゃいましたよ。

「わざと間違えて都筑さんご自身が解説を書いていることを読者に気づかせようとしたのでは?」と尋ねると「いやいや、ミスですよ」と苦笑いされてました。

まあ、20年以上前の仕事のミスを、いまだに突っつかれるわけですから、そりゃ気持ちは複雑でしょう。僕だって、今持ち出されたら「勘弁して下さい」と頭を下げるしかない昔のミスは幾つもあります。まさか担当が大森さんだとは想像だにしなかったので、申し訳ないことをしました。

しかし、世間は狭いですね。

先日、初めて、脚本家の伊藤和典(いとうかずのり)さんにお会いしたのですが、彼の親戚がやっていて伊藤さん自身も出入りしていた喫茶店に、僕も行っていたことがわかり驚きました。もう25年以上も前のことですが。

また別の現場では、昔一度だけ仕事をしたことがある脚本家の方と久しぶりにお会いしました。初めて会った時は、彼はまだ会社勤めで脚本家を目指していたと思います。面白かったのは、その会社が僕の家内と同じだったのです。面識はなかったみたいですが。その後すぐに彼は会社をやめて、今では脚本家として立派に仕事をされています。

まあ、今のAERAの編集長とも小学校の時の同級生ですしね。

面白いというか、妙な縁ばっかり。

こういうことが続くと、世界は500人くらいでできてるんじゃないかという気になってしまいますね。