堀ちえみの舌がん公表は、大きな衝撃とともに報じられた。
【「舌が動かしづらい」「口内炎が治らない」など、舌がんのセルフチェック法はこちら】
堀は1989年から松竹芸能に所属して大阪を拠点に活動してきたので、関西で芸能の取材をしてきた僕にとっては、非常に身近な存在で、日ごろから頻繁に取材をしてきた。
いつも朗らかで元気いっぱい。2010年にレシピ本「堀ちえみの子どもがよろこぶパパッ!と母ごはん」を出し、出版記念イベントを行った時も「なんせ、ウチはたくさん子どもがいますからね。コロッケを作るとしたら、一回に100個は作ります!」と晴れやかな笑顔で話していたのが、まさに僕の中でのイメージど真ん中だ。
病気が公表されてすぐ、かつて堀のマネージャーをしていて、今回の件の担当者となっている松竹芸能の社員さんに電話をした。昔からの付き合いもあり、事細かに話を聞くことができたが、聞けば聞くほど、あらゆる形で心が震えた。
「本人の口からというか、本人が綴ったもので本人から発表するという形をとりましたが、正直、こちらも驚くくらい、非常に細かく、家族の中のやりとりもリアルに、正確に書いてある。恐縮ながら、こちらから補足情報としてお出しするものがないくらい、最初に病気を公表したブログに書かれていることがほぼ全てなんです」
肉体的にも、精神的にも、いっぱいいっぱいであろう中、あれだけの文面を綴る。マネージャーすら驚くほど、リアルに綴る。心の芯の強さというか、意志の力の強さには純粋に敬服するばかりだ。
さらに、複数の関係者への取材をもとに時系列を整理すると、口の中に異変を感じ始めたのは昨年の夏ごろから。本格的に「これはさすがにおかしいのでは?」と感じるようになったのは秋ぐらいからだという。
ただ、異変を感じつつも、仕事はいつも通り全てこなしてきた。7年ほど前から、自宅は大阪から東京に移っているが、毎週木曜にレギュラーを務めているMBSテレビ「ちちんぷいぷい」にも東京から通っていた。
今回、大きなポイントとなったのが持病のリウマチ。2016年から患い、かなり症状がきつかったので、それを抑える薬を日常的に飲んでいた。その薬の副作用として“口内炎ができやすくなる”というものがあったため、今回の口の異常=副作用という構図が本人や周りの頭の中にできあがってしまっていた。これが病気の真の状況をつかむのを遅らせてしまったというのは否めない。