東映時代の張本勲 (c)朝日新聞社
東映時代の張本勲 (c)朝日新聞社
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 2018年のレギュラーシーズンも残すところあと少しとなったが、懐かしいプロ野球のニュースも求める方も少なくない。こうした要望にお応えすべく、「プロ野球B級ニュース事件簿」シリーズ(日刊スポーツ出版)の著者であるライターの久保田龍雄氏に、現役時代に数々の伝説を残したプロ野球OBにまつわる“B級ニュース”を振り返ってもらった。今回は「張本勲、記録への戦い編」だ。

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 “安打製造機”張本勲が、大下弘(東急)が持つ当時の日本最高打率3割8分3厘(1951年)に挑戦したのは、東映時代の1970年だった。

 前年まで計4度の首位打者に輝いた張本は、同年も9月15日のロッテ戦(後楽園)で打率3割9分6厘をマークし、史上初の4割も射程に入れていたが、直後、左足アキレス腱痛に見舞われ、10月18日の阪急戦(西宮)を迎えた時点で、3割7分9厘まで下げていた。

 阪急戦で3打数3安打を記録すれば、大下の記録に並ぶが、「正直大下さんの記録は試合数も少ないし(89試合)、更新する気はさほどなかった」という。

 だが、前夜宿舎にファンから電話が相次ぎ、「記録を破ってくれ」と激励されると、「ファンのためにも」と闘志が湧いてきた。

 そして、翌日の試合は2回の第1打席から3打席連続安打。これで日本記録を達成したはずだった。

 ところが、ベンチに戻ると、主将の毒島章一が「もう1本打たんと、ダメみたいだぞ」と声をかけてきた。この時点の張本は457打数175安打の3割8分2厘9毛。四捨五入すると確かに3割8分3厘で大下と並ぶが、大下は321打数123安打の3割8分3厘1毛だから、まだ2毛足りない。

 「よーし、それなら」と気合を入れ直して6回の第4打席に臨んだが、結果は右飛。更新どころか3割8分2厘0毛に下げてしまった。こうなったら、9回に回ってくる5打席目で安打を打つしかない。

 8対8の9回、先頭の張本に対し、阪急は同年18打数2安打と“張本キラー”の山田久志をぶつけてきた。山田が代わりばなで無警戒だと読んだ張本は、2球目に意表をついてセーフティバントを試み、マウンドの右側に転がした。慌てた山田がボールを蹴飛ばす間に全力で一塁を駆け抜けた直後、スコアボードに「H」のランプが点灯。打率3割8分3厘4毛で、大下の記録を3毛上回った。うれしさのあまり、張本は「バンザーイ!」とジャンプした。

 ちなみにセーフティバントは、「将来必要になる日が来る」と考え、60年代初めに首位打者を争った近鉄・ブルームに食事を奢って伝授してもらったものだった。

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通算2000本安打達成も紆余曲折…