日本人が知らない「西サハラ」 実は“マグロ”と関係深い外交事情

AERA
 1976年に「サハラ・アラブ民主共和国」の建国を宣言した西サハラ。大部分を占領するモロッコとの激しい戦闘を繰り広げるも、91年には国連による独立か帰属か問う住民投票の提案で停戦。だが90年代半ば、西サハラの地下で鉱物資源が確認されると、モロッコは住民投票を拒否。実施されないまま現在に至っており、難民が故郷に戻れるめども立っていない。ジャーナリスト・平田伊都子氏が、その外交活動を追った。

【写真】アルジェリアにつくられた西サハラ難民キャンプ

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「もうこれ以上、国連を待つのはうんざりだ」

 そんな思いが、全ての難民と被占領民の間に充満していた。

 2015年4月、アルジェリアの砂漠地帯につくられた西サハラ難民行政センターから190キロ離れた難民キャンプで開かれた西サハラ民族大会でのことだ。

 若い西サハラ人は武装闘争を主張した。難民キャンプの代表団、モロッコ占領地から来た被占領民、外国のオブザーバーの計2150人による議論が10日間続いた。結論は「国連、AU、EUに再攻撃!」だった。

「19年まで外交闘争を続ける」という方針が決まると、西サハラ難民の外交戦士たちはそれぞれ「戦場」に散っていった。

 国連担当はアハマド・ブハリ。国連が住民投票を約束した91年以来、ニューヨークに張り付いている。ブハリは私に会うたび、西サハラ解放区とモロッコ占領地・西サハラそれぞれ5カ所で平和維持軍を展開している国連西サハラ住民投票監視団について、「住民投票を監視する組織なのに、住民投票の活動はほとんどやっていない」と批判する。16年には潘基文国連事務総長(当時)の西サハラ難民キャンプ訪問を実現させ、人々をあっと言わせた。

 AU担当のラミン・バーリは、AU本部のあるエチオピアの首都アディスアベバに西サハラ大使館を構え、正攻法でモロッコに対抗する。今年1月29日の第30回AU首脳会議では、「ともにAU加盟国であるサハラ・アラブ民主共和国とモロッコ王国が一日も早く交渉の席に着くことを、強く促す」との宣言を採択させた。しかし、「モロッコはAU復帰を果たすや、早速、AUに西サハラを排除するよう迫っている」という報道もあり、予断を許さない。

 EUを担当するモハメド・シダティは、新西サハラ担当国連事務総長個人特使のホルスト・ケーラー元ドイツ大統領の協力で、7年間中断しているモロッコと西サハラの直接交渉再開を目指す。1月25日に予定されていた第1回交渉はモロッコが欠席して失敗に終わったが、あきらめてはいない。

 その一方でシダティは、EUとモロッコの漁業契約を監視し、国際社会に警告を発している。そして、日本に対しても、

「モロッコとEUが西サハラ領土抜きで契約を結ぶのは大変結構。だが、国連と国際法は西サハラを非自治地域に指定していて、その地区の天然資源の採取を禁止している。日本は西サハラ領海の大西洋クロマグロを密漁したり、西サハラ大地のリン鉱石を輸入したりしており、恥ずかしいことだ」

 と名指しで非難した。

 日本は世界最大のクロマグロ消費国。日本に出回るクロマグロのうち、大西洋産は4割を占める。大西洋での日本の漁獲枠は18年から拡大するが、今後もクロマグロを食べたければ、日本は西サハラとも交渉する必要がある。

 しかし、大部分の日本人は西サハラの存在すら知らない。10年に発足し、私が代表を務めるサハラ・ジャパン・ジャーナリスト・アソシエーション(SJJA)は、日本の人々に西サハラ人のことを知ってもらおうと、西サハラ独立運動創始者の弟バシール・ムスタファを日本に招待した。バシールの来日は実現しなかったが、11年から13年にかけ、2人の西サハラ独立運動の闘士ベイサットとムロウドを日本に呼んだ。

 17年夏、私は難民キャンプでバシールに再会した。彼は河野太郎外務大臣にあてた、次のような書簡を私に託した。

「日本主催の国際会議であるTICAD(アフリカ開発会議)に、アフリカ55カ国・地域中、西サハラだけ招待されなかった。アジアの要である日本は〈排除の外交〉ではなく〈地球外交〉の精神で、西サハラ紛争の平和的解決に貢献してほしい」

 18年2月7日から、バシールは国務長官とモロッコ占領地・西サハラ担当大臣を兼任している。

 西サハラ難民と友達になりたい人、西サハラ難民キャンプを訪ねたい人は、SJJAに連絡してほしい。トランプ米大統領に遠慮することはない。トランプ大統領の外交顧問ジョン・ボルトンは国連大使だった時、失敗したとはいえ、国連西サハラ住民投票実現に向け努力した人物なのだから。(文中一部敬称略)(ジャーナリスト・平田伊都子)

※AERA 2018年3月19日号より抜粋
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