高濱 バスみたいなものが弾丸以上のスピードで衝突してきたらひとたまりもありませんね。そんな重大かつ喫緊の課題にもかかわらず、岡田さんが始めるまで誰も事業にしなかったのは?
岡田 技術的にとても難しいし、すごくお金がかかるし、そもそも市場がないからビジネスモデルもない。ドイツで開かれたスペースデブリの専門会議で私がこの話を始めたとき、みんなから「君はビリオネア(億万長者)なの?」と聞かれました(笑)。そのときの私の資本金はたった2千万円でしたけど、何の迷いもなかった。明確な課題があって、それをまだ誰もやっていないなんて、こんな素晴らしい話はないじゃないですか。私は40歳にして、ようやく本当に自分のやりたいことが見つかったんです。その会議から10日後に、一人で会社を作りました。
高濱 宇宙で仕事がしたいというのは、小さい頃からの夢だったんですか?
岡田 宇宙は大好きでした。『宇宙戦艦ヤマト』や『銀河鉄道999』にどっぷりはまった世代ですし。そうそう、今、うちの会社には作者の松本零士さんにお願いして描いてもらったイラストが飾ってあるんですよ。そこには、地球と宇宙を定期的に往復する銀河鉄道が走っていて、その軌道にはゴミひとつない美しい宇宙が広がっています。これぞ私が目標とする、あるべき姿そのものです。
高濱 夢を現実にしたわけだ。
岡田 いやー実はその反対で、試行錯誤の結果なんです。小さい頃、私には夢なんてありませんでした。夢を作文にするという課題が一番苦手で、何も思い浮かばなかった。仕方なくスーパーカーに乗ってイタリアに行きたい、というウソの夢を書いてしまった罪悪感を今でも覚えているくらいです(笑)。
高濱 その感覚、なんとなくわかるなあ。どんな子どもだったんですか。
岡田 自分はフツーだと思っていましたが、幼稚園を卒業するときに先生から、「君はみんなにはあるキラリと光るものがないね。でも持久力はある。だから小学校できっと見つかるよ」って言われました。母も私もそんなもんかなって。でも小学校時代もキラリはなく(笑)。太っていたので運動が苦手で、あとは国語の成績も今ひとつでしたね。