「怒りを遷(うつ)さず」(雍也第六)

 孔子が、弟子の中で一番能力の高かった顔回をほめた言葉で「(顔回は)怒るべきときに怒り、その怒りの方向を誤らなかった」という意味です。人は「まとも」でないことに直面したとき、正当な理由があれば怒ってよいのです。正しくないことに対して怒る勇気がなくて、どうして正義を守れましょうか。

 相談者さんがここで問題に取り上げた「挨拶」は、人が生きるための基本です。孔子は、『論語』のなかでも人間関係を円滑にするためには、「礼」を学ぶことが必要だと、口を酸っぱくして言っていますが、「挨拶」こそ「礼」の根幹と言えるでしょう。「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」と、人と接する場ではしっかり挨拶しましょうと、私たちは子どもの頃から教わってきました。これが「愛想がいいと不審者から狙われやすいから、挨拶はしないようにしなさい」という教育になったならば、もうこの国は見捨ててどこかへ行ってしまった方がいいと思います! ヨーロッパでも、中国でも、アメリカでも、自分たちが過ごしやすい環境をつくろう、人との関係を円滑にしようと考える人たちは、必ず気持ちのいい挨拶を交わしますよ。

 これが言い過ぎだとしても、きちんとした挨拶を交わす習慣のある他の地域にご家族で移り住むことも考えてみてはいかがでしょうか? 相談者さんの住まいは「東京都心」とありますが、小学生に挨拶をして不審者がられるという環境は、子どもの教育に不適切なところとも考えられませんか? 「まともな子どもを育てようとする大人」は世の中にたくさんいますし、怒るだけでは解決につながらないのですから、社会全体に対して「怒りを遷す」前に、家族を取り囲む今の環境を見つめ直してみましょう。

 もしも住環境を変えることができないとしたら、「君子は言(げん)に訥(とつ)にして、行(こう)に敏(びん)ならんことを欲す」(里仁第四)であることに努められることを勧めます。これは、「立派な人ならば何を言うかよりも、実践において素早く勇敢でありたいものだ」という戒めです。

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