私の経験した高校受験は偏差値を基準に自分の受けられる高校を受験しただけだったが、本来、高校進学というものは、息子のように自分と向き合い、自分に合った学校を決めるべきなのではないだろうか。受験勉強がないから楽なのではなく、自分と向き合い続けなくてはならないこの時間も大変な作業だし、本質的な進路決めのように、息子をみていて感じた。

 結局、息子はオンラインの通信制高校に入学することを決めた。選んだのは週3回の通学コースだったが、中学校に1日も通わなかったのがウソのように、そこで新たな友達ができ高校3年間は本当に楽しそうに過ごしていた。今でも高校時代の友達とは仲良くやっているようだ。

 当時、「オンラインの通信制高校で通学もあり、かつ通学の回数を選べる学校」という選択肢をつくってくれた方に私は心から感謝したい。わが家はこの学校で友達にも恵まれたし本当に救われた。

 今では、本当に高校の選択肢がたくさん増えている。高校に進めば、友達も近所の子だけでなくもっと広い視野で見つけることができる。不登校の子どもたちにとっては、高校生になると生きやすくなるのだろうと感じている。

 振り返ってみると、私が仕事を辞めて、親子3人でのんびり心穏やかに過ごした時間がものすごく大事だった。その時間があったからこそ、今がある。子どもが学校に行かずに家にいる時間は本当に不安だ。けれども、心が元気になれば必ず次につながる。今、真っ暗なトンネルの中にいる人も、時間は人それぞれ違うけれど、希望の光は必ず見えてくるから、安心して過ごしてほしいと思う。そう心から伝えたい。

※第2回〈「命にかえても守りたいのは息子」 不登校児の母親が振り返る“夫への罪悪感”と決意とは【体験記】〉から続く

「嫌がる息子を小学校へ連れていくことしか頭になかった」 不登校の息子と向き合った母が考えを変えたきっかけとは【体験記】
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小沼陽子
小沼陽子

NPO法人優タウン代表。神奈川県茅ケ崎市生まれ。藤沢市在住。2児の母。子どもの不登校をきっかけにホームスクーリングを実施。その孤軍奮闘した経験から20年務めた大手企業を退職し、2017年に「ホームスクーリングで輝くみらいタウンプロジェクト」としてプロジェクトを立ち上げ、現在は地域の人たちと子どもを育て合い、どんな子どもも生きやすい街と社会を目指してさまざまなプロジェクトを立ち上げ、活動中。

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