でも、入学してすぐにコロナがきてしまいました。ニュージーランドはロックダウンが厳しかったので、帰国かそのまま残るかを選ばなくてはいけません。私は残るほうを選択したので、在学中の3年間は一度も日本に帰れませんでした。もちろん、休みごとの父との登山にも行けず、落ち込んでいたのですが……。
父はよく「できなくなってしまったことを考えるより、今できることをどう楽しむかを考えよう」と言います。「目標までにはいろいろなパターンがある。その中には“まわり道”もあるんだよ」と。ああ、これは父が話していた「まわり道」なのかも……と考えるようになりました。

帰国できないことや山に行けないことは、一見ネガティブなことです。でも、見方によってはニュージーランドにいられる時間が増えたとも考えられます。現地では長期休みの期間は、寮生活から現地の家庭でのホームステイに切り替わりました。私は、現地の文化を学校だけでなく、家の中でも味わえているじゃない! そう考えると、だんだん楽しくなってきました。そんなふうにして、コロナの期間を乗り切ったのです。
ネパールに行くたびに、温暖化のスピードを目の当たりにします
――ネパールでの環境活動も精力的に行われています。
私は、父の「NPO法人ピーク・エイド」でネパールの植林活動や、日本で使わなくなったランドセルを現地の子ども達に届けたり、学校を支援したりするプロジェクトに携わっています。この活動は環境保護と、ヒマラヤ山脈の登山をガイドしてくれたり、荷物の運搬をサポートしてくれたりする、私たちの大切な存在である少数民族、シェルパの皆さんへの感謝の気持ちでもあります。

昨年、ネパールで私たちがよく訪れる村が氷河決壊による洪水に襲われて大きな被害が出ました。その村には、私たちがお世話になるシェルパの方々がたくさん住んでいます。私たちはその10日後に訪れたのですが、美しい村の変わりように言葉を失いました。

私がヒマラヤに登ったのは中学3年生のとき。まだ数年しか経っていないのに、あのときはあんなにあった氷河が、訪れるたびにどんどん減っています。
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