人生初の登山は、9歳の時に登山家の父・野口健さんと登った天狗岳(八ヶ岳)。その後14歳でヒマラヤデビュー、15歳でキリマンジャロに登頂。大学生で登山家の野口絵子さんに、登山を通して築いた親子関係や、お父さんの野口健さんについてお話を聞きました。※後半<大学生登山家・野口絵子が振り返る、中学生での単身英国留学 父・野口健から「明日イギリスに出かけるよ」と言われて学校見学>に続く
【写真】15歳でキリマンジャロに登頂した絵子さんと、野口健さんのツーショットはこちら(ほか、全7枚)「お母さん、知ってる? お友だちのお父さんは、毎日お家に帰ってくるんだって!」
――子ども時代の絵子さんにとって、お父さまの野口健さんはどんな存在でしたか。
父は、私が幼少のころから家にいないことが多かったので、それが普通だと思っていました。仕事で海外滞在が多く、ヒマラヤに何カ月単位など、一年のうちのほぼ半分は山にいる生活。ですから、私は生まれたときから「父親」という存在があまり明確ではありませんでした。
どれくらい明確でなかったかというと、私が保育園に通っていたころ、母に「お母さん、知ってる? お友だちのお父さんは、毎日お家に帰ってくるんだって!」と言ったそうです。お父さんが毎日家に帰ってくるということがよっぽど衝撃だったのでしょう。それくらい、私にとって「お父さん」は遠い存在でした。
あるとき、久しぶりに父が帰宅して、また仕事に行くときのこと。まだ小さかった私が「バイバイ、また遊びにきてね!」と言って送り出したのだそうです。それを聞いて父もちょっとショックだったようで(笑)、「山に登りながら、どうやって娘と向き合うか」と考えたそうです。そこで出した父の答えが「いっしょに山に登ろう!」でした。

父は、登頂を目指さずに「今日は、帰るというゴールを達成しましょう」と言いました
――初めての父娘登山が、天狗岳(八ヶ岳)だったのですね。
はい。9歳の時でした。その前に富士山の清掃活動などに連れて行ってもらっていたので、父の仕事は「山で掃除をするおじさん」なのだと思っていたんです。八ヶ岳に連れて行ってもらったときに、はじめて「登山家」という職業があること、そして父がその登山家であるということを理解しました。
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