その後は妻の職場に尋ねていったり花束を贈ったり、かなりアプローチしましたよ。デートの誘いは2回目でOKしてくれて、ショットバーをはしごしました。俺は酒が弱いので、3軒目でつぶれましたけど(笑)。でも数週間後には次の巡業地のアメリカに移動してしまったので、もう会うこともないのかな……と思っていたら、なんと彼女がアメリカに飛んで来たんです。

蝶野さんとアメリカの伝説的プロレスラー、鉄人ルー・テーズさん/1989年(提供)
蝶野さんとアメリカの伝説的プロレスラー、鉄人ルー・テーズさん/1989年(提供)

――蝶野さんを追っていらしたんですね。

 そうなんです。妻は「あなたを追いかけたんじゃなく、バカンスで行っただけ」って言いますけど(笑)、その行動力を目の当たりにして、俺もますます本気で向き合いたいと思いました。

 アメリカ巡業中はプロモーターが倒産するトラブルもあって、お金もありませんでしたし、トライアウトのために3000キロの道のりを運転して、カナダに行ったこともあります。妻も俺も若かったとは言え、本当によく頑張りましたよ。毎日一緒にいたので、たくさんけんかもしましたけどね。その後、またヨーロッパに移って巡業をしている間も、毎日のようにキャンピングカーの中で言い合いをしていたので「蝶野の車は、いつも揺れている」と仲間のレスラーにからかわれたほどです。

天山広吉選手の結婚式で仲人を務めた蝶野さんご夫妻/2003年(提供)
天山広吉選手の結婚式で仲人を務めた蝶野さんご夫妻/2003年(提供)

「女性はこうあるべき」日本の感覚を押し付けていた

――当時はどのようなことでけんかをしていたのでしょうか?  

 帰りが遅いとか休みが短いとか、些細なことです。妻はドイツでホテルの経営やホスピタリティの勉強をしていて、俺と出会ったときも仕事をしながら自立した生活を送っていました。それが俺と結婚したことで、自分で稼ぐことも、自由な時間を持つこともできなくなった。自立心の強い女性ですから、俺を待つだけの毎日はつらかったと思いますよ。俺は俺で、当時は「女性はこうあるべきだ」「妻はこうあるべきだ」という日本人の価値観を押し付けていた。

――そういった違いも乗り越えて、結婚されたんですね。

 結婚したのは、出会いから4年後の1991年です。ものすごく気は強いんですが、かわいいところもあるし、誰にでも親切で、困っている人には迷わず手を差し伸べる。そういうところに惹かれました。

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