2人とも浪人することになり、予備校の河合塾も一緒だったんですが、徳井はほかの友だちに誘われてNSC(吉本総合芸能学院)にも通って、その友だちとコンビを組んでいました。でも徳井の相方が漫才をやめるって言いだしたんですよね。それを聞いて、徳井と僕は一番仲がよかったですし、お笑いの感性が近いこともわかっていたので、僕も徳井と漫才をやってみたいという思いが出てきて。大学1年のときに僕から「一緒にやってみいひん?」って言ったんです。徳井は「わかった」って言ったと思うんですよね。でもそこから大学4年まで、ほとんど会わなくなったんです。

――なぜ会わなくなってしまったんですか?

 会ったらその話をしないといけなくなるというか……進むにしろ、やめるにしろ決断を下さないといけないから、それを先延ばしにしたかったのかもしれないですね。4年生になって就職活動の話が出てきたころに、1回やってみるかって。それで劇場のオーディションを受けるようになったんです。

事務所所属当初の宣材写真(提供)
劇場に立つ若手のころのチュートリアル(提供)

――そこから漫才コンビとして活躍していくわけですが、関係性はどのように変化していきましたか?

 2006年にM-1で優勝して、翌年に東京に進出して、めちゃくちゃ忙しくなったんです。1年間で休みが1日か2日くらい。徳井とは毎日会いすぎていたので、仲はよくなかったですね。ケンカをするわけではないけど、楽屋では全く喋らないみたいな。

――そこからどう変わりましたか?

『しゃべくり007』(日本テレビ系で2008年から放送)が始まって、先輩の楽屋に挨拶に行くと、くりぃーむしちゅーさんもネプチューンさんもめっちゃ喋ってたんですよ。くりぃーむしちゅーさんは有田さんが喋っているのを上田さんが聞いているっていう感じで、ネプチューンさんは泰造さんと堀内さんがすごい喋っていて。当時の吉本の芸人はコンビで仲良しってあんまりなくて。でも2組を見て、こっちのほうがいいなって漠然と思ったんです。それでだんだん徳井に話しかけるようになった記憶があります。

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