2006年に『M-1グランプリ』で優勝を果たし、現在も漫才の舞台に立ち続けているチュートリアルの福田充徳さん、徳井義実さんは、幼稚園から小・中・高、予備校まで一緒の幼馴染コンビとして知られています。福田さんに子ども時代の2人の関係やコンビを組んだきっかけ、売れっ子になってからの関係性の変化についてお話をうかがいました。※前編<チュートリアル福田に聞く、一人息子の子育て「パパたちで語り合う場があればいい」>より続く

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徳井とだと面白いと思える

――幼稚園から一緒の福田さんと徳井さん、子どものころはどんなふうに遊んでいましたか?

 小学1、2年生のときに同じクラスになって、よく徳井の家に遊びに行っていましたね。不思議なんですけど、ほかの友だちと複数で遊ぶときは外でドッジボールとかをするんですが、あいつと遊ぶときは家でずーっと2人で喋ってたんですよね。2人でオリジナルソングをつくって歌っていました。

「うさぎちゃんの耳、うさぎちゃんの耳、かわいそうなうさぎちゃん、うさぎちゃんの耳」っていう歌で。うさぎは耳が長くてかわいいってみんな思っているでしょ、でもうさぎは耳が長いことをコンプレックスだと思っているから実はかわいそう、っていう内容の歌です。小1にしたらネガティブな歌ですよね(笑)。

――子どものころから感性が合っていたんですね。

 今思うと、ほかの友だちには理解してもらえないようなことを徳井とだと面白いと思えるから、自然と遊ぶときは2人だけになったんでしょうね。

――それぞれどんなお子さんだったんですか?

 僕はわりと社交的で明るくて、授業中によく手を挙げるようなタイプやったと思います。小学校までは成績もいいほうでした。徳井はどちらかというとおとなしめでしたね。小3からはクラスが別になって、遊ばなくなってしまったんです。でも中学に入ってまた仲良くなって、高校生のときは週に9回会うこともありました(笑)。

高校時代の福田さん(手前、右)と徳井さん(手前、右から3番目)と仲間たち(提供)

コンビを組む約束後、会わなかった3年間

――コンビを組んだきっかけは?

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中寺暁子
ライター 中寺暁子

健康情報誌編集部などを経て、2000年からフリーに。医療・健康・教育のテーマを中心に取材・執筆活動を行う。

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