TikTokをはじめとするSNSで人気を博している実業家の岸谷蘭丸さん。小学校受験で不合格となった早稲田実業学校に中学受験で再度挑戦し合格を果たしたものの、高校からはアメリカの学校へ進学しました。希望の学校に合格しながら日本を飛び出した理由はなんだったのでしょうか? 岸谷さんが考える日本の教育とアメリカの教育の違い、さらには現在力を入れている海外留学支援事業「MMBH留学」の内容について、話を聞きました。※前編<父は岸谷五朗、母は岸谷香 実業家・岸谷蘭丸が小学校受験で知った「負けの味」とは「僕は“ゆるふわ2世”にはなれない」>から続く

MENU 授業をサボって昼登校した中学時代 海外進学は「逃げ」、母から与えられた「自由」と「責任」 早朝まで勉強した高校時代 日本とアメリカの教育は目的が異なる 金髪ピアスで教育事業 「これもあり」だと示したい

授業をサボって昼登校した中学時代

――中学受験では、小学校受験で不合格になった早稲田実業学校に“リベンジ合格”を果たしました。学校生活はいかがでしたか?

 友だちもたくさんいて、毎日めちゃくちゃ楽しかったですよ。でも当時は思春期真っ只中だった上、質実剛健な校風にどうしてもなじめず、学校ではかなり反抗的な態度をとっていました。授業中寝ていたり、昼から登校したり、学校からすれば困った生徒だったと思います。勉強も全くしませんでした。

中学時代の岸谷さん(提供)

――当時は毎日どんなことを考えていたのですか?

 自分はこれから何を目的にして生きていくのか、ということです。そもそも「みんなと同じ」ことを良しとしない両親に育てられているから、集団の中でも自分はどうありたいのか、何をしたいのかが、僕にとってはとても重要でした。ロックンローラーのDNAなんですかね。結局、エスカレーターで大学まで行けるからと選んだ学校だったのに、中3の春には高校には進学しないと決めました。

海外進学は「逃げ」、母から与えられた「自由」と「責任」

――国内の高校に進む選択肢もあったと思いますが、なぜ海外留学を選んだのでしょうか?

 はっきり言えば、逃げですね。このまま高校には進まない、今の学校よりも偏差値が低い高校には行きたくない、だったら海外しかないよね、と。中学入学後は本当に頭を使わなかったので、そろそろ本気で勉強をして「勝負」に出ないとまずいぞ、という焦りもありました。

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木下昌子
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