11月22日はいい夫婦の日。過去の記事を振り返ります。(2024年5月5日の記事を再編集したものです。本文中の年齢等は配信当時)
【写真】娘さんとキッチンに立つコウケンテツさんはこちら仕事に家事に3人の子育てにと奮闘するコウケンテツさん。今でこそ、料理研究家として広く知られていますが、実は「料理を仕事にするつもりはなかった」とも。運命に導かれるように料理の道へ入ったきっかけ、そして家族への思いとは? ※前編<3児の父・コウケンテツが語る家事育児 「主婦にも休みは必要。毎日手作りごはんでなくてもいい」>から続く
テニスのプロを目指して高校を中退するも…
――思春期はテニスに打ち込んでいたそうですね。
僕は中学3年生からテニスを始めて、夢中になりました。けっこう、激しい考え方をするほうで。「プロになりたい」と思ったときに、高校に行っている場合じゃないから、「高校をやめてテニスに専念したい」と親に相談しました。
――わぁ、親御さんはなんと?
もちろん、大反対ですよ。親も親戚もみんなが、考え直すよう毎日のように説得しに来ました(苦笑)。結局、テニスがダメだったら、当時の「大学入学資格検定」(現在は「高等学校卒業程度認定試験」)を受けて大学に進む、ということで許可してもらい、高校を中退して、テニスに打ち込む毎日でした。
でも……テニスの腕は、まったく上がらず。ジュニアチームの小学生にも負けてしまうくらいで(苦笑)。しかも、20歳のときに椎間板ヘルニアになってしまって、断念するしかなくなりました。親や親戚に啖呵を切って高校をやめたのに、あっけなく夢が破れてしまって、ものすごく落ち込みましたね……。
挫折を経て開かれた、料理の道
――それはつらかったですね。テニスをやめてからは?
2年ほどは治療に専念して、抜け殻のように絶望していました。そこから、少しずつ、家計を助けるためにもアルバイトをするようになって。料理は好きだったので、いろいろな飲食店を掛け持ちしました。早朝のパン屋さんから、カフェ、夜はイタリアンのホールなど、いろいろやりましたね。不思議なことに、テニスの腕は上がらないのに料理の腕だけはメキメキ上達していったのですよ。
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