「ルネッサーンス!」とワイングラスで乾杯する貴族漫才で一躍人気芸人になった、髭男爵の山田ルイ53世さん。近年は著書『一発屋芸人列伝』(新潮社)が「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」を受賞するなど、執筆業でも活躍。テレビのコメンテーター、ラジオパーソナリティとしても幅広く活動しています。そんな山田さんに、小6と5歳の娘さんの子育てや子どもの存在を機に変わってきた仕事へのスタンスについて、うかがいました。※後編<中2から6年間「ひきこもり」…山田ルイ53世が語る不登校 「人生のすごろくを考えると、誰しもとまりうるマス目」>へ続く

MENU 妻がMC、僕はひな壇芸人 不登校のきっかけは粗相をしてしまったこと 子どもができて固まった自分のスタイル

妻がMC、僕はひな壇芸人

――山田さんは、娘さんが2人いらっしゃいますが、ご家庭ではどのような役割ですか?

 うちはバラエティ番組でいうと、妻がMCで、僕はひな壇芸人。妻がうまいこと回してくれるので、僕は家族の空気を読みながらフォローしている感じです。妻が今日はごはんを作る体力がなさそうだなと思ったら、『外食でいいんちゃう』とか『僕が作りましょうか』とか言ったり、汚れた食器がたまったらちゃちゃっと洗ったり。まあ、出来る範囲のことをやっているといった感じで、胸を張って「分担してる」とは言えないでしょうね。

――奥さまの雰囲気を感じとって、サポートされているんですね。

 難しいのが、家の中で妻のサンクチュアリみたいな場所があるんですよね。僕から見て散らかっているなと思って勝手にその場所を片付けると、機嫌が悪くなる(笑)。いろいろ、探り探りでやっています。

――娘さんは12歳と5歳、7つ離れているんですね。

 下の子の出産のときに、妻が10日くらい入院したんです。上の子は学校があったので、僕が面倒をみたのですが、これがめちゃくちゃしんどかった。朝はお弁当を作って身だしなみを整えてあげて、ごはんを作って食器洗って、掃除もして、そのあと仕事に出かけて。事務所にもお願いして、長女が帰る時間に間に合うように、スケジュールを組んでと、本当に大変だった。これがずっと続くと考えると、正直嫌でした。妻をリスペクトしましたし、任せすぎていた部分があったなと。だから家のことに関しては、あまり偉そうなことは言えないです。

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中寺暁子
ライター 中寺暁子

健康情報誌編集部などを経て、2000年からフリーに。医療・健康・教育のテーマを中心に取材・執筆活動を行う。

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