フランスで重視されるのは「疑う」こと

 フランスの学校では責任をとることを学ぶ。「あなたは決められたルールより自分が考えたやり方のほうが正しいと思っていますか?」と先生が質問をする。「はい、思っています」と子どもが答えると、「じゃあ、あなたの思うようにやってみて」と先生が後押しする。責任を覚えさせるためにあえて危険なことをさせるのはナシだが、先生はリスクを考えたうえで子どもにやらせるかどうかを判断する。

 日本の学校でもルールについて考えさせ、「じゃあ自分の考えたとおりにやってみてください」とうながせばいいと思う。既存のルールを守ってばかりいると、自分で責任をとることを覚えられないからだ。ルールのよしあしを考えず、ただルールどおりに行動していると、予想外の出来事に対するアドリブ力も育たない。責任をとることを覚えなければ、責任を回避することばかり身につけてしまう。

 フランスの教育で重視されるのは、言われていることは事実ではないかもしれない、と疑うことだ。「これは本当なのか」「もしかしたら問題があるのではないか」このように考えてから判断する。そのまま信じてはならない―これは「我思う、ゆえに我あり」で有名な哲学者、デカルトの考え方でもある。よってフランス人は、「デカルトの子孫」と自分たちを呼ぶことがある。

 例外はあるけれど、フランスでは先生に指摘することがよくある。時に先生は意図的に間違えたことを言って、誰かが気づくのを待っている。誰も気づかなかったら、もう一度言ってみる。そうやって自分で調べること、分析することを学校で学ぶのだ。

先生に間違いを指摘されたら、感謝される?

 学校の先生の言葉を何度も指摘したことのあるフランス人の高校生がインターネット上でこんな示唆のあるアドバイスを投稿した。象徴的な例だから紹介したい。

「先生が間違っていたら、ぜひ正してあげてください! 先生はきっとあなたに感謝するよ。では、どうすればいいのか。相手と向き合って間違っていることを伝えなければならないので口頭表現の練習にもなる(対立を好まない内気な人には難しい)。間違うことは自分の弱点を教えてくれるし、自分自身に対して疑問を抱かせてくれる。最後にもう1つ覚えておこう。年齢、地位、職業に関係なく、わたしたちはみな間違いを犯す権利を持っている!

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