「生活面」は、正直微妙なところもあるのです

――日常の過ごし方に関してはどうでしょうか。

 ここに関しては、迷うことも多いのが正直なところなのです。

「忘れ物」や「準備片付け」などはある程度事実そのままですからいいのですが、悩ましいのは、道徳的な側面です。「仲間に対して親切に接することができる」など、ある決められた文言に対して「できている/できていない」なんて、そんなに簡単に割り切って答えることは難しいからです。例えば「相手のことを思って突き放す」なんて行動があったとして、それをどう評価するか、また、その真意を教員がきちんと把握できているかわかりませんよね。

 ですから、できあがった通知表を見たときに「この子、通知表で見ると非の打ち所がないんだけど、もっとがんばってほしいところもあるんだよな」と思うこともあれば、その反対に「この子は通知表だけ見るともう一歩なんだけど、実際はこれよりもずっといい印象なんだけどな」と感じることもあります。

通知表を「たかが」「されど」の両面で見てみる

――先生のことばで書かれている「所見」は、毎回とても気になる部分です。

 おそらく教員がもっとも時間をかけるのはこの所見だと思います。所見の欄は、多くの学校で管理職チェックと修正の作業を行っています。文章の間違いや相手に誤解を与える表現はないか、子どもを傷つけかねない内容になっていないかなど、慎重にチェックをするのです。

 所見は、担任がその子について感じたことを思いのままに記述することに意味がある一方で、主観に頼るところの多いその思いがきちんと子どもや保護者に伝わるかどうかわかりません。ですから、定型文にしておくほうが無難という考えもあります。所見の書き方や例文を集めた本もたくさん出版されているくらいです。そして、子どもや保護者が担任の主観をどう受け止めるかというのは、なんといってもその教員への信頼度によるところでしょう。

NEXT通知表の受け止め方は…
1 2 3 4