ナガタが「闘う」というのは、灘の生徒会に立候補することだった。

 実際はどうだったか。和田秀樹は灘に入ってから生徒会に何度か立候補したが、落選続きだった。ライバルは勝谷である。彼は灘史上初めて高校1年で生徒会長になった。高校2年のとき、和田、中田のコンビは生徒会選挙に挑むが、敗れてしまう。

 和田は生徒会への思い入れが強かった。灘中学に入学したとき、灘高校3年の生徒会長が美少年で弁舌さわやかで、かっこよかったという理由もある。

* * *
 ヒデキが中1のときの生徒会長クロイワさんは、ハンサムなうえに、演説もうまかった。
「先輩が闘って勝ち取った自由と自主を守り続けられるかは、教師の問題ではない。君たちがどうあるかだということを自覚してください」
 この演説を聞いて、灘という学校はやはりエリート校なのだと誇りに思えた。(85ページ)
* * *

 クロイワとは、現在、神奈川県知事をつとめる黒岩祐治である。なお、和田の同学年で都道府県首長になった人がいる。徳島県知事の飯泉嘉門だ。東京大法学部、自治省というおきまりのコースにのって、2019年から全国知事会長をつとめている。

 灘出身者には医者が多いが、役人もいる。東京大法学部から警察庁に入った吉田尚正は警視総監にまで上りつめた。灘には勉強はできるが、運動はからきし苦手という生徒が少なくない。しかし、吉田は違った。運動神経が抜群だったようだ。『灘校物語』にはヨシカワとして登場する。

* * *
 また、ヨシカワ君はスポーツ万能でもあった。
 灘では、柔道は必修科目だ。そんななか、ヨシカワ君は、灘で3年間柔道をやってきた人間の誰よりもずっと強かった。
 地歴部のソフトボール・チームでも、ボカスカと長打を放つ。守備でも好守・強肩が光った。(166ページ)
* * *

 ヨシカワも優等生だったが、学年トップにはすごい天才がいた。その一人が、イウエだった。和田とは中学受験塾が一緒でまったくかなわなかった相手だ。怪物と思っていた。

* * *
 その模試で西日本1位となったのは、イウエだったのだ。
 易しい問題ならイウエにも勝てると思ったのに、彼は易しい問題でもミスをしない。怪物小学生の実力をまざまざと見せつけられた。(30~31ページ)
* * *

次のページへ
1 2 3 4 5