イウエは、井内摂男らしい。灘中学に2番で合格し、勝谷誠彦も彼の秀才ぶりに一目おいていた。東京大法学部から通産省(現・経済産業省)に進み、地域経済産業審議官などの要職をつとめた。定年前に退官している。
『灘校物語』では、一番頭が良い人物とされているのが、「ニシサワ先生」だった。数学を得意とする高校生は、大学受験雑誌『大学への数学』の臨時増刊号『解法の探求』「学力コンテスト」に応募する。毎号、難問が出題され、解ける生徒は全国に10人もいないと言われていた。ヤダもまったく歯が立たなかった。
ところが―――
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灘には高2ですでにこれを解いてしまう猛者がひとりいた。
ニシサワだ。みんなにノートを貸してしまうので手元にノートがあったことがないのに、中1の途中から常にトップの成績であるため、「ニシサワ先生」と呼ばれていた。
本人は大学で天文学を学びたがっていた。しかし、周囲から「理IIIに行け」と圧力をかけられたことで、へそを曲げて文系クラスに進んだ。(244~245ページ)
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ニシサワ先生は西川知一郎をさすようだ。西川は東京大文一に入学する。卒業後は法曹の道に進み、現在、裁判官をつとめている。西川が下した判決のなかには、物議を醸したものがあった。
2005年3月、野宿生活者が大阪市北区内の公園を住所とする転居届の不受理は不当として、大阪地方裁判所に不受理処分の取り消しを求める訴訟をおこした。これに対し、大阪地裁の西川知一郎裁判長は不受理処分を取り消す法的判断を示す(その後「不受理は適法」との逆転判決が出て、上告棄却により確定)。その理由について、西川裁判長はこう説明した。
「テントは客観的に生活の本拠としての実体を備えており、住民基本台帳法上の住所と認められる」「大阪市から公園の占有許可を得ていないのは、住民登録とは本来無関係。客観的な事実として生活の本拠がある限り、転居届を受理しないことは許されない」
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