世界有数の電気街「秋葉原」の激変 54年前の都電が渋滞横目にスイスイ走れた理由 (2/2) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)

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世界有数の電気街「秋葉原」の激変 54年前の都電が渋滞横目にスイスイ走れた理由

連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」

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諸河久AERA#AERAオンライン限定#鉄道
■センターリザベーション方式の昭和通り

 昭和通りの開通にともなって和泉橋停留所が廃止され、200m上野方に神田佐久間町停留所が新設された。戦時中の休止期間を経て、1948年に秋葉原駅前に改称して復活した。1958年4月、御茶ノ水線が万世橋から414m延伸して和泉橋線に接続したときに、秋葉原駅東口に再改称されている。昭和通りを通る秋葉原駅前から上野駅前まで、約1700mの軌道が新たに「センターリサベーション方式」で敷設された。戦前は千住新橋と土州橋を結ぶ22系統の市電が、新しくなった和泉橋線を行き来していた。

 秋葉原駅東口の昭和通り頭上には、首都高速道路1号上野線が鎮座していた。首都高の開通は1969年1月で、都電和泉橋線廃止は同年10月だったから、都電と高架道路が共存していた時代があったことになる。現場に来て、首都高のさらに上を走るJR総武線の高架橋と画面右側のメトロマークを掲げた東京メトロ秋葉原駅出入口の位置を参考にして、旧秋葉原駅東口停留所跡を推測した。高架道路竣工と都電が廃止されてから、はや半世紀の歳月が流れていた。

昭和通りを左折して新宿駅前に向かう13系統の都電。昭和の香りに満ちた家並が背景に展開する。岩本町~秋葉原駅東口(撮影/諸河久:1965年10月10日)

昭和通りを左折して新宿駅前に向かう13系統の都電。昭和の香りに満ちた家並が背景に展開する。岩本町~秋葉原駅東口(撮影/諸河久:1965年10月10日)

■都電最後の路線延伸

 もう1枚の写真は、昭和通りの和泉橋線から左に分岐して御茶ノ水線へ乗り入れる13系統新宿駅前行きの都電。13系統は1958年4月までは新宿駅前~万世橋で運転されていたが、万世橋~秋葉原駅前(開通後に秋葉原駅東口に改称)を延伸して和泉橋線に接続。運転区間が新宿駅前~水天宮前に変更された。同時期に柳島~福神橋、錦糸堀~錦糸町駅前も延伸されており、都電最後の路線延伸の一つとなった。この時代の秋葉原駅東口界隈は秋葉原貨物駅や秋葉原青果市場が盛業しており、両国や汐留のような貨物駅裏の雰囲気が漂う場所だった。

現在の秋葉原は活気に満ち溢れている。都電の走った痕跡などまったく失われていたが、画面左奥のせんべい店に昭和の息吹が感じられた。(撮影/諸河久:2019年11月19日)

現在の秋葉原は活気に満ち溢れている。都電の走った痕跡などまったく失われていたが、画面左奥のせんべい店に昭和の息吹が感じられた。(撮影/諸河久:2019年11月19日)

 秋葉原は繁華な街に変わっていた。13系統新宿駅前行きの秋葉原駅東口停留所跡は画面左奥だったが、都電時代の乗降客が疎らな停留所から一転して、JR総武線・山手線・京浜東北線、東京メトロ日比谷線、つくばエクスプレス線が連絡する一大ジャンクションに変貌している。画面右手には「書泉ブックタワー」があり、神保町店を凌ぐ利用客で賑わっていた。正面向かい側、永島ビル左端の道路先に位置する「せんべい柏屋」に都電時代の憧憬が感じられた。

■撮影:1965年4月16日

◯諸河 久(もろかわ・ひさし)
1947年生まれ。東京都出身。写真家。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経て「フリーカメラマンに。著書に「都電の消えた街」(大正出版)、「モノクロームの私鉄原風景」(交通新聞社)など。2019年11月に「モノクロームの軽便鉄道」をイカロス出版から上梓した。

諸河久

諸河 久(もろかわ・ひさし)/1947年生まれ。東京都出身。カメラマン。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「オリエント・エクスプレス」(保育社)、「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)など多数


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