東郷重興さん(左)と一緒に日債銀の本店があった九段下交差点へ来ると、たくさんの思い出と懐かしさにあふれる。いい人に仕えたと心から思っている(撮影/狩野喜彦)
東郷重興さん(左)と一緒に日債銀の本店があった九段下交差点へ来ると、たくさんの思い出と懐かしさにあふれる。いい人に仕えたと心から思っている(撮影/狩野喜彦)

 日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。前回に引き続き、ロイヤルホールディングス・菊地唯夫会長が登場し、思い出の地・東証前などを再訪します。

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「兜町」──明治11年(1878年)に渋沢栄一氏らにより、東京株式取引所(東京証券取引所=東証の前身)が開かれた地だ。日本の資本主義の成り立ちと深いかかわりを持つ街の正式な住所は、東京都中央区日本橋兜町だが、誰もが「兜町」とだけ呼ぶ。東証には、上場企業が決算発表や社長交代など株価に影響を与える重要なことを届け、報道機関に公表する。

 ここで24年前、菊地唯夫さんにとって背筋を伸ばし続けてくれている出来事があった。2022年12月、連載の企画で一緒に東証を訪ねた。

 企業などのトップには、それぞれの歩んだ道がある。振り返れば、その歩みの始まりが、どこかにある。忘れたことはない故郷、一つになって暮らした家族、様々なことを学んだ学校、仕事とは何かを教えてくれた最初の上司、初めて訪れて多様性に触れた外国。それらを、ここでは『源流』と呼ぶ。

■東証の前に並び 頭取と思い描く あのときの光景

 菊地さんが自らの『源流』と思う出来事は、金融危機が叫ばれた1998年12月13日、勤めていた日本債券信用銀行(日債銀=現・あおぞら銀行)が不良債権の巨額さを懸念され、政府によって特別公的管理(一時国有化)とすることが決まった日にあった。夕方、秘書として仕えていた東郷重興頭取が東証で記者会見に臨み、日債銀には資金力があって不良債権の処理には見通しがあることを前提に、国有化を「遺憾」と言い切る。それは全行員の思いを背にした毅然とした姿勢、と映る。

 1年余り後に日債銀を去り、外資系証券を経て外食大手ロイヤルへ転じ、2010年3月に持ち株会社ロイヤルホールディングスの社長になった。以降、東証には毎年、年間決算の発表で訪れた。でも、そのときはロイヤルのことのやりとりだけ。日債銀は話題に出ない。会長へ退いてからは、来ていない。

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