東京パラリンピックの車いすテニス男子シングルスで優勝を決め、雄たけびを上げる国枝慎吾さん/2021年9月4日、有明テニスの森
東京パラリンピックの車いすテニス男子シングルスで優勝を決め、雄たけびを上げる国枝慎吾さん/2021年9月4日、有明テニスの森
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 車いすテニス界の世界的なレジェンド、国枝慎吾さんがラケットを置いた。引退会見で語り尽くせなかったことを、単独インタビューで聞いた。AERA 2023年3月6日号の記事を紹介する。

【図を見る】国枝慎吾の4大大会とパラリンピックの優勝

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 38歳で引退した国枝慎吾さん(39)はシングルスで4大大会優勝28度、パラリンピック金メダル3度という輝かしいキャリアを刻んだ。やや唐突感もあった1月22日の引退発表。どんなふうに決断に至ったのか。

「1月3日、東京都北区にあるトレーニングセンターで午前11時から練習する予定だったので9時ごろ自宅を出ました。常磐道を運転していると目の前に富士山がくっきりと見えてきて。それを見て、もう登ったな、やりきったなという思いがわき上がってきました」

 年末に、1月にある全豪オープンの舞台であるメルボルン行きの航空券を予約し、恒例の「打ち納め」の動画もSNSにアップしていた。ギリギリまで現役を続けるか、迷っていた。

「1月3日は2時間ぐらい練習して、家に帰って妻と夕食を食べてから話し合い、そこで引退を決めました」

■足跡を残せた充実感

 2月7日の記者会見は、大勢の報道陣が詰めかけた。

「所属するユニクロの柳井(正)社長に『車いすテニスという新しいスポーツジャンルを確立した。産業を作ったのと一緒』と言っていただき、2009年にプロ転向したときに思った以上に、くっきりと足跡を残せた充実感はあります」

 引退会見で「アテネ、北京、ロンドン、リオとそれぞれ転機になった」と4年に一度のパラリンピックがキャリアの節目、分岐点になったと語った。

「04年アテネでメダルが取れていなかったら辞めていたと思います。一番は経済的な理由です。コーチもトレーナーもつかず、僕一人でも年間の遠征費が約400万円かかっていました」

 金メダルを獲得したことで、競技を続けたい欲求が膨らみ、自信が芽生えた。

「テニス選手として雇ってくれる企業があるかな、と在学する麗澤大の就職部に相談したり人材派遣会社に行ったりしました」

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