鳥嶋和彦(とりしま・かずひこ)/1952年生まれ。白泉社顧問。集英社に入社後、「週刊少年ジャンプ」で『Dr.スランプ』『ドラゴンボール』など大ヒット作品を担当した。『Dr.スランプ』に登場するDr.マシリトのモデル(photo 伊ケ崎忍)
鳥嶋和彦(とりしま・かずひこ)/1952年生まれ。白泉社顧問。集英社に入社後、「週刊少年ジャンプ」で『Dr.スランプ』『ドラゴンボール』など大ヒット作品を担当した。『Dr.スランプ』に登場するDr.マシリトのモデル(photo 伊ケ崎忍)

 漫画作品が大ヒットし社会現象まで起こるときの条件とは何だろうか。『Dr.スランプ』や『ドラゴンボール』などを担当した、伝説の漫画編集者、鳥嶋和彦さんがAERA 2021年12月6日号で語った。

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 漫画作品が社会現象になるときは、アニメ化され、お茶の間で多くの人が見て、家族や子どもたちが話題にして伝搬していく、という構造がありました。僕が担当した「Dr.スランプ」もそうです。

 放送が始まった1981年は、フジテレビが「楽しくなければテレビじゃない」というスローガンの元に大幅に編成を変えた時期で、夜の7時から「Dr.スランプ アラレちゃん」を放送し、その半年後に7時半から「うる星やつら」を放送し始めたんです。それまでスターのトーク番組「スター千一夜」を放映していたゴールデンタイムに、若者向けのテレビアニメを持ってきたことから、80年代のフジテレビの快進撃が始まったと見ています。

面白い漫画を作る

――連載開始以前から、時代の変化は敏感に感じていた。

『Dr.スランプ』以前の少年漫画は、「週刊少年ジャンプ」の三大原則「友情・努力・勝利」が象徴するように、男のドラマが主流でした。「週刊少年マガジン」では『あしたのジョー』と『巨人の星』が一世を風靡していました。そんな中、「ジャンプ」では77年に江口寿史さんの『すすめ!!パイレーツ』が始まりました。僕が初めて「ジャンプ」で面白いと思った漫画で、絵柄やセンスが男臭いものから変わりつつあるなと思いました。

「ジャンプ」は希望すれば、読者が編集部を見学できるのですが、見学に来る読者も意外と女性が多かった。つまり、硬派な少年漫画にだんだんソフトな面を取り入れ、女性読者が増えていくという構造変化が起きていた時期でした。当時、他の雑誌では、竹宮恵子さんの「風と木の詩」、萩尾望都さんの『ポーの一族』やあだち充さんの『泣き虫甲子園』、面白い作品がいろいろありました。それで、「ジャンプ」でも自分が面白いと思える漫画作品を作って雑誌を変えていけばいいと思ったんです。

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