村上春樹氏がさまざまな資料を寄贈・寄託した国際文学館(通称・村上春樹ライブラリー)が、母校の早稲田大学に今月オープンした(c)朝日新聞社
村上春樹氏がさまざまな資料を寄贈・寄託した国際文学館(通称・村上春樹ライブラリー)が、母校の早稲田大学に今月オープンした(c)朝日新聞社

 ノーベル文学賞の時期になると常に注目を浴びてきた村上春樹。今回も受賞は逃したが、村上作品は翻訳され海外でも広く読まれている。国内外で支持される理由は何なのか。AERA 2021年10月18日号に掲載された記事を紹介する。

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 奇妙な癖がある。十数年前から、村上の小説を読むときは、日本語訳よりも先に、英語訳で読むようになったのだ。村上の小説は英語をはじめ多くの言語に翻訳される。まずは英語で読み、おもしろければ、日本語訳も読む(奇妙なことを書いている。日本語訳とは、なんだ?)。

「風の歌を聴け」で1979年にデビューして以来、わたしは村上作品の熱心なファンであったろう。批評家に高く評価された「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」も、大ヒット作「ノルウェイの森」も出るとすぐ買い、むさぼり読んだ。

■魅力が鼻についてきた

 英語に「ページ・ターナー」という表現がある。村上作品はまさしくそれで、いったん読み始めると、ページを繰る手が止まらない。旅行にもっていって、連れを置き去りに、湖畔のベンチで何時間も読みふけってしまったことがある。

 村上の最大の特徴は、小説に「物語」を取り戻したことだろう。ジョイスやプルーストを嚆矢とする20世紀小説は、文体の斬新な実験で小説に新しい可能性を見いだした。ストーリーで読者を喜ばせるのは、もう古い、通俗的だ、と。

 しかし、ディケンズやドストエフスキーのような、19世紀小説の「お話」のおもしろさを失ったのも確かだろう。村上の作品は必ず、輪郭のはっきりした事件が起きる。「お話、お話」と、人を集めて炉辺で語るような、サービス精神がある。

 しかし、「海辺のカフカ」あたりから、読むのがつらくなった。村上の日本語訳文章に顕著な、巧みな比喩、おしゃれなファッション、水泳、ランニング、筋トレ、車、音楽の趣味、セックス描写……。以前は魅力と感じていたことごとくが、逆に鼻についてきた。

「なんだっていいけど、そういうのが素敵だと思っているわけ? 都会的で、スマートだとか思っているわけ?」(「一人称単数」)

 そう、からみたくなった。単に飽きたのかもしれない。しばらく距離をおいた。

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