追悼・筒美京平 昭和を代表する作曲家の仕事に洋楽文化の“翻訳”という役割を考える (1/3) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)

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追悼・筒美京平 昭和を代表する作曲家の仕事に洋楽文化の“翻訳”という役割を考える

連載「岡村詩野の音楽日和」

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岡村詩野AERA
「筒美京平 Hitstory Ultimate Collection 1967~1997 2013Edition」ジャケット写真(写真提供:ソニー・ミュージックダイレクト)

「筒美京平 Hitstory Ultimate Collection 1967~1997 2013Edition」ジャケット写真(写真提供:ソニー・ミュージックダイレクト)

中原理恵「Singles」ジャケット(写真提供:ソニーミュージック・ダイレクト)

中原理恵「Singles」ジャケット(写真提供:ソニーミュージック・ダイレクト)

 既報のとおり、昭和を代表する作曲家の筒美京平が10月7日に亡くなった。享年80。病気療養中だったそうだが、70歳代になってからも精力的に曲の提供に挑み、生涯現役だった。作曲作品の総売り上げ枚数は、約7500万枚。歴代1位の輝かしい記録を残した。

【中原理恵「Singles」のジャケット写真はこちら】

 筒美京平の代表曲といえば、「ブルー・ライト・ヨコハマ」(いしだあゆみ/1968年)、「また逢う日まで」(尾崎紀世彦/71年)、「魅せられて」(ジュディ・オング/79年)などが挙げられるだろう。筒美はこれらの曲の多くについて、メロディー(旋律)だけではなくアレンジ(編曲)も手がけた。80年代以降、アレンジについては、他の人に譲るようになっていくが、曲の世界をトータルで作り上げていくのが筒美作品の大きな魅力だった。

 例えば、「また逢う日まで」は尾崎紀世彦の素晴らしい歌唱力によるサビが特徴的な曲だが、よく聴くとドゥーワップのようなコーラスが多く採り入れられていて、ブラック・ミュージック・テイストがアレンジのテーマになっていることに気づく。「魅せられて」のポイントは、イントロから飛び出す派手なストリングスやハープなどの華やかなオーケストレイションだろう。これが西アジアのオリエンタルなムードを感じさせる旋律との相性が抜群で、当時日本からはまだまだ訪問者が少なかったエーゲ海や地中海周辺の風景を、音で見事に描いてみせている。

 作曲家として頭角を現す前、筒美がレコード会社の日本グラモフォン(当時)で洋楽ディレクターだったことは有名だ。青山学院大学時代、軽音楽部でジャズに傾倒していたこともあり、筒美の感覚と耳は海外ポピュラー音楽に慣れてしまっていた。現在は歌謡曲のコンポーザーとして認識されている筒美だが、彼自身は当時としては筋金入りの洋楽リスナーだったのだ。日本の流行歌を作曲するにあたり、それまで親しんできたジャズなどの洋楽や、英米のヒット・ポップスをどう“翻訳”するのか。もしかすると、キャリア序盤から中盤あたりは、それが彼のミッションだったのかもしれない。その意味では、舶来文化を日本に伝播させる紹介者的な側面……いや、海外文化に対する評論家的な側面も持った作曲家だと言える。


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