●政府への苛立ちが大政翼賛生んだ歴史を教訓に


中島岳志さん(45)政治学者

いま最も気になるのは、政府のコロナ対策が後手後手に回っていることで私たち国民の側に生まれている「遅い」という苛立ちが、逆に「強い権力の発動」につながりかねないのではないか、ということです。

 私は緊急事態宣言自体は悪いと思っていませんが、その発動が遅れたことや中身について、「もっと早く」「政府は甘い。都市封鎖もやるべきだ」といった「より強い権力の発動を待望するような感覚」が、いつもは政権を批判しているリベラルと言われる人たちの間に強くなってきていると感じています。

 本人たちは「安倍批判」のつもりで言っていることが、ある瞬間、逆にもっと強い、法に規定されていないような強い権力を稼働させる力になってしまう。

 そして実際に想定外の強い権力が発動されたとき、リベラルの側はそれをなまじ求めてきただけに引っ込みがつかなくなり、共犯関係でのみ込まれていく。これがまさに「全体主義が稼働する時」だと思うんです。

 よく似た時代がありました。1938年。日中戦争の翌年、国家総動員法が成立した年です。当時の近衛文麿内閣や、政党の利害関係に終始する保守政党に対し、国民が苛立ち始める。その中で「政府は生ぬるい。いまは一致団結するとき」と批判し、国家総動員法を望む急先鋒になったのが、意外にも無産政党が集結してできた社会大衆党(のちの社会党)でした。ブレーキはかかることなく、40年の大政翼賛会へとなだれ込んでいくことになる。同じことが、これから起こり得るのではないか。そんな不安が私にはあります。

 局所だけではなく全体を見るために、歴史や哲学を学ぶことで時間のスパンをもう少し長くみる視座が、こういうときこそ必要です。「1938年の教訓」も、よくよく踏まえておくべきだと思います。

(構成/編集部・小長光哲郎)

AERA 2020年5月4日-11日号