この日の高橋はシングル用のスケート靴を履いており、足首を深く曲げられるアイスダンス用とは、可動域や滑る感触が異なる。村元がアイスダンサーらしい動きをするのに対し、高橋はまだシングルの動きで寄り添う。そのユニゾンのぎごちなさには、赤ん坊が初めて歩いた日に立ち会ったような、ここがスタートという感慨深さがあった。

 大トリは、高橋による独演。「8歳からスケートを始めて25年、約9千日」という高橋自身によるナレーションから始まり、映画のテーマソング「9000Days」で、優雅な滑りを見せる。それは、シングルスケーターからアイスダンサーへと生まれ変わるための儀式。滑ることの気持ち良さを噛みしめ、エッジを唸らせながら躍動する。それは、長光歌子コーチ(68)が高橋と初めて出逢った日に感じた「身体から音楽が聞こえてくる」スケートそのもの。シングルからアイスダンスへと橋渡ししていくような演技だった。

「僕のシングルスケーターとしての競技人生が幕を閉じようとしています。同時に僕の競技者としての新しい幕が開こうとしています。また数々の壁があると思いますが、それを自分なりに乗り越えて、その先の新しい景色を見ることができればと楽しみにしています」

 フィナーレではプレゼントを客席に投げる企画で、女性スケーターが投げたプレゼントが1階席にしか届かないのを見ると、2階や3階席に届かせようと全力投球。勢い余って転びそうになった。それを見たファンが拍手を送る。高橋がいるリンクは、いつも心が一つになる。

 2月頭からアメリカに渡る高橋は、「誰かと気持ちをすりあわせて物事を進めていく経験がないので、まずはお互いをよく知るということが第1段階」と語った。高橋なら心配ない。そう思わせてくれる、温かいひとときだった。(ライター・野口美恵)

AERA 2020年2月3日号

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