翻訳出版した台湾の版元「采實文化」の編集担当・何玉美(47)は「主人公が葛藤を乗り越え、仕事の効率化を模索していくさまに、国を越えて共感を覚えます。世代によって仕事観が異なるところも私たちと似ている。それに、仕事を終えてからビールを飲み、小籠包を?張る瞬間の喜びは一緒!」。それを聞いた朱野は笑顔を見せた。

「皆、まったく同じ悩みを抱えるんですね。日本特有のものではなかった」

 新宿駅から私鉄に揺られ、ほんの数分。庶民的な商店街の広がる界隈で朱野は育った。広告会社に勤務する父親は「24時間戦えますか」という往年のCMを地でゆく日々を送り、「定時で帰る」どころか土日も不在でゴルフに明け暮れていた。

「私の結婚式のスピーチで、『父親なんていうのは不要な存在ですね』なんて父は話していました。場内は笑いに包まれたのですが、うちの家族は沈黙。『冗談じゃなくその通りだ』と」(朱野)

 母親はかつて写真を学んでいたが、結婚後は専業主婦に。親族はいわゆる「手に職」がある人ばかりで、父方の祖父は東京・上野で屋根の修繕工を営んでいた。借金を作り、賭けごとが好きで家族から白眼視された末に亡くなった。学資の蓄えもない朱野の父は工業高校を出てすぐに就職。文字通り「たたき上げの死ぬほど働く人」になった。

 その父がある日、幼稚園に行こうと玄関で準備していた4歳の朱野を呼び止めた。

「待て、お前は何で幼稚園に行くんだ」

 一瞬迷った末、朱野が「勉強しに行きます」と答えると、父は一喝した。

「違うだろ! お前はお父さんが稼いだお金で遊びに行くんだろ」

 衝撃を受けた。私は親の金で遊んでいるのか。ならば、親が自分に投資した分だけ返さなければいけない。そんな強迫観念にも似た思いが、朱野の心に初めて芽生えた。そして長らく尾を引いた。(文/加賀直樹)

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