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「死んでおけばよかった」 JR宝塚線事故「最後の1人」が向き合った現実

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深澤友紀AERA
【アーチェリー】岡崎愛子/1986年、大阪府出身。首から下がまひし、握力もないため、パートナーの堀雄太さんに弓に矢をつがえてもらう(撮影/写真部・東川哲也)

【アーチェリー】岡崎愛子/1986年、大阪府出身。首から下がまひし、握力もないため、パートナーの堀雄太さんに弓に矢をつがえてもらう(撮影/写真部・東川哲也)

「最後の1人」の退院を伝える記事。JR宝塚線脱線事故で、岡崎は先頭車両にいた

「最後の1人」の退院を伝える記事。JR宝塚線脱線事故で、岡崎は先頭車両にいた

 JR宝塚線事故から生還し、退院した「最後の1人」。そう報じられた女性が、東京で世界のひのき舞台に立つ。「人生、欲張ったもの勝ち」。彼女は何も諦めない。事故後の彼女の姿に迫った、AERA 2019年12月30日-2020年1月6日合併号の記事を紹介する。

【写真】「最後の1人」の退院を伝える当時の記事

*  *  *
「宝塚線脱線、全員が退院」

 2006年5月8日の朝日新聞朝刊がそう伝えている。乗客106人が亡くなったJR宝塚線(福知山線)脱線事故から377日。事故から生還し、入院した乗客168人の最後の1人だったのが、パラアーチェリーで東京パラリンピック出場が内定している岡崎愛子(33)=ベリサーブ=だ。

 同志社大学2年生だった岡崎は、キャンパスに向かうため、先頭車両に乗っていた。尼崎駅手前で右カーブに差し掛かった時、車両の右側がフワッと浮き、体が左側の壁にたたきつけられた。暗い車内にガソリンのような臭いが立ち込め、恐怖におびえていたのが忘れられない。

 首の骨を折り、首から下がまひした。さらに、体を打った影響で肺に水分がたまって呼吸困難になり、気管内に管を入れ、その後、気管も切開した。

 生きるか死ぬかの状況を脱した頃、体が動かない現実と向き合った。今後の人生が想像できず、自分の介護で疲弊する家族の姿を想像し、「死んでおけばよかった」とも考えた。

 だが入院生活を続けるうち、やりたいことがどんどん浮かんできた。退院に先立ち、大学にも復学した。病院から、好きな歌手のコンサートにも行った。

「人生欲張ったもの勝ち」

 岡崎が著書『キャッチ!』の中で書いた言葉だ。

 退院の翌年には就職活動も始めた。気になる企業に一件一件「車いすユーザーでも応募できるのか」と電話で問い合わせた。施設が車いすに対応していないと断られることや、希望する業務以外での応募を勧められることが多かった。その中で障害者、健常者の区別なく、いい人材を採用するというスタンスに共感したソニーから内定をもらい、就職。東京での一人暮らしには不安もあったが、一人で生きる力をつけようと思った。


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