ポル・ポト政権のジェノサイドをいちはやく批判したのも、田辺さんだった。

 田辺さんとおしゃべりしていると、「それじゃ可哀想」と、よくおっしゃった。困った人物、大変な出来事があったとき、誰かを責めるだけではなく、「当の本人も大変だろう」という、優しさが感じられた。

「目で見ても美しい大阪弁を」と、大阪を舞台に、溌剌たる大阪弁で繰り広げられる恋愛小説を書いた。

「話し言葉は字で書くと少し匂いが違いますから、そこを読んで美しく、耳で知らない読者にもわかるように書くのが物書きの仕事。そして物書きのいちばん大事な心得ね。小説は『文字の芸術』なんですから」

「小説で会話を書くのは、難しいけれど、面白い。私の登場人物たちは、よく話をしているでしょう。それは私自身が、人間には言葉というものがあるんだから、せっかく人と生まれたからには『言葉の試合』を楽しみたい、と思っているから。人生の喜びは、一人でも多く、話の合う人を獲得することじゃないかしら。別に付き合うとか結婚するとかだけでなく、お互いに興味を持って、好奇心を発動させて、いろいろなことについて語り合えたら楽しいじゃない」

 田辺さんの恋愛小説はハッピーエンドばかりではない。

 かなわなかった恋、終わりを選ぶ恋、わりきれない思いを抱えたままの男女関係――複雑な心理が書かれるが、それでも後味が悪くないのは「嫌いな人は書けない」という、作家の人柄によるのだろう。

「小説って、消えてしまう人間の気持ちとか、確かにしゃべったんだけど相手に伝わらなかった、本当の心の想いを留めておくものじゃないかしら。そう思うと、人間の社会にはドラマチックなことがいっぱいある。私が考える小説は『誰が何をした』という筋ではなくて、人間の日々の生活を丁寧に描くことなんです」

 綺羅星のごとく並ぶ名作を書き続けた田辺さん。偉業のなかでも、とりわけ戦後の「名もなき日本人の日常」を書き続けた功績は大きく、この類いまれな作家を偲びたい。(ライター・矢内裕子)

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