「奥州安達原 袖萩祭文の段」。左から袖萩(木俣かおり)、安倍貞任(蓬田雅代)、お君(鈴木文)(撮影/植田真紗美)
「奥州安達原 袖萩祭文の段」。左から袖萩(木俣かおり)、安倍貞任(蓬田雅代)、お君(鈴木文)(撮影/植田真紗美)

 宝塚少女歌劇が生まれた頃に誕生した「乙女文楽」。女性が1人で人形を動かすことで生まれる現代性とはなにか。結成から50年を迎えた「ひとみ座乙女文楽」の舞台で浮かび上がった。

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「乙女文楽(おとめぶんらく)」をご存じだろうか。

 文楽の人形は1体の人形を3人が分担して操る「三人遣い」だが、乙女文楽では、女性1人が人形を遣う。

 昭和初期に文楽の人形遣い・桐竹門造(きりたけもんぞう)らが考案した、人形と身体の動きが一体化する「胴金式(どうがねしき)」をはじめ、1人で人形を遣うためのさまざまな工夫が生み出された。

 少女による上演という華やかさもあり、最盛期には複数の劇団が全国で巡業していたが、現在は門造門下の桐竹智恵子(故人)の指導を受けた人形劇団のひとみ座がプロとして芸を継承している。

「ひとみ座乙女文楽」の初公演は1968年。結成50年となるこの秋、奥州安倍氏の反乱を描いた時代物の大曲「奥州安達原袖萩祭文(おうしゅうあだちがはらそではぎさいもん)の段(だん)」と「二人三番叟(ににんさんばそう)」を女流義太夫の演奏とともに上演した。

 2010年から指導にあたるのは、文楽の人形遣い・桐竹勘十郎さん。文楽ファンで知らぬ人はいない存在だ。稽古場では舞台装置の正面に座り、団員たちの演技をじっと見つめながら、手帳にペンを走らせる。一場が終わると、演者に駆けよって「(文楽では)こういう動きをするけれど、できますか?」と確認しながら指導が始まる。

「我々は3人で人形を遣うので、当たり前にできることも、動きが制限される一人遣いでは難しい場合があります。たとえば胴金式では人形の首(かしら)と自分の顔がひもで連動しているので、視線の微調整などは大変です。制限のあるなかで、皆さんよく工夫されていますね。乙女文楽の方々は、人形を愛する気持ちが強く、私たちと同じだと思います」(勘十郎さん)

 近松門左衛門の時代には人形は1人で遣っていた。

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