小島慶子(こじま・けいこ)/エッセイスト。1972年生まれ。東京大学大学院情報学環客員研究員。近著に『歳を取るのも悪くない』(養老孟司氏との共著、中公新書ラクレ)、『幸せな結婚』(新潮社)
小島慶子(こじま・けいこ)/エッセイスト。1972年生まれ。東京大学大学院情報学環客員研究員。近著に『歳を取るのも悪くない』(養老孟司氏との共著、中公新書ラクレ)、『幸せな結婚』(新潮社)
シリアで拘束後、40カ月ぶりに解放された安田純平さん。安田さんへの自己責任論も噴出している (c)朝日新聞社
シリアで拘束後、40カ月ぶりに解放された安田純平さん。安田さんへの自己責任論も噴出している (c)朝日新聞社

 タレントでエッセイストの小島慶子さんが「AERA」で連載する「幸複のススメ!」をお届けします。多くの原稿を抱え、夫と息子たちが住むオーストラリアと、仕事のある日本とを往復する小島さん。日々の暮らしの中から生まれる思いを綴ります。

【シリアで拘束後、40カ月ぶりに解放された安田純平さん】

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 自己責任という言葉をよく聞くようになって久しいですが、使われ方が随分雑なのではないかと思います。

 多くの場合「所為(~のせい)」と「責任」を混同しているからです。自分が原因を作ったということと、損失などの責めを負う義務があるということとは区別して考える必要があるでしょう。

 私の家族が暮らすオーストラリアのパースの近くの観光地に、バッセルトンという場所があります。「千と千尋の神隠し」でモデルになったという長さ1.8キロの桟橋があり、観光客が歩けるようになっているのですが、途中から片側の手すりがなくなります。遠浅とはいえ、下は海。もしここで誤って落ちたら当然、原因は自分が作ったことになりますが、そばにいた人は放っておけないでしょう。むしろ、人が海に落ちたのに放置したらその責任を問われますよね。救助を要請されたレスキュー隊が、「手すりのないところで不注意で落ちたなら自力で岸に泳ぎ着くべき!」なんて言ったら大問題です。

 山岳での遭難も同様。天候悪化もあるとわかって登ったのだから助けを呼ぶな、は非情です。危険な目に遭っている人がいたら助けるのは当然のこと。自分のせいでピンチに陥ったとしても、周囲がそれを見殺しにしていいはずがありません。

 先日、お向かいの友人が自宅で木工作業中に指を失う怪我をして救急車を呼んだのですが、オーストラリアの多くの州では救急車は有料です(年金生活者や低所得者は除く)。だから民間の保険でカバーします。でも、自分のヘマでした怪我や不養生でなった病気で助けを呼ぶべきじゃない、助けてもらったら謝れ、と責めるのは的外れです。なぜ謝らなくてはならないのでしょう?

「自分で原因を作る」ことと「自分で全ての責めや損失を負う義務がある」は分けて考えるべきこと。所為と責任を一緒くたにして、窮地に陥った人を叩くのは考えが足りません。安易な自己責任論は慎みたいものです。

AERA 2018年11月12日号

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小島慶子

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小島慶子(こじま・けいこ)/エッセイスト。1972年生まれ。東京大学大学院情報学環客員研究員。近著に『幸せな結婚』(新潮社)。共著『足をどかしてくれませんか。』が発売中

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