控え室で昼食をとる山田真由美さんと、社会福祉士の鬼頭史樹さん。あゆみの会のパートナーの間には笑いが絶えない。山田さんは若年性認知症当事者として積極的に講演活動を行っている(撮影/今村拓馬)
控え室で昼食をとる山田真由美さんと、社会福祉士の鬼頭史樹さん。あゆみの会のパートナーの間には笑いが絶えない。山田さんは若年性認知症当事者として積極的に講演活動を行っている(撮影/今村拓馬)
撮影/今村拓馬
撮影/今村拓馬

「認知症」と聞くと、かつては「恍惚の人」というイメージを抱く人も少なくなかった。しかし当事者の発信が増え、それは実態と大きく違うことが分かってきた。

【写真】ちょっとした手助けで着替えもすんなりできるように

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 10月下旬の昼時、岐阜県・恵那文化センターの控え室には、笑い声が響いていた。

「先日、我が家のエアコンの室外機に蜂の巣が見つかって。駆除してもらったんですよ」
「見つかってよかったわねえ」

 食事の間、交わされているのは、他愛のない日常の話だ。

 若年性認知症を持つ山田真由美さん(58)は、空間認知が苦手だ。自分の体と目の前にある物との位置を的確に把握しづらい。けれども、小さなサポートさえあれば、支障なく食事もできる。山田さんの隣に座った「パートナー」の女性がチキンカツを一口大に切り分け、「お味噌汁を飲みたい時は教えてね」と声をかけた。会話の合間に冗談が飛び交う。

 山田さんは講演者としてここへやって来た。認知症になるとはどういうことかを当事者として伝えるためだ。名古屋市の認知症相談支援センターの社会福祉士、鬼頭史樹さん(37)が司会を務め、認知症当事者・家族交流会「あゆみの会」のパートナーも同行した。パートナーという呼び名は、一方的に支えるのではなく、対等な立場という思いを込めつけられたものだ。

 午後、演台に立った山田さんは、認知症との付き合いを語り、自身の問題を実演した。

「私は服を着替えるのが苦手です。一人で着替えると、5時間くらいかかります」(山田さん)

 5時間も?と、会場がどよめく。山田さんが上着を羽織ろうとすると、袖口を探って左手が空中を所在なくさまよう。だが、途中から鬼頭さんが左側の袖口を左手近くに示してあげると、着替えはすんなり完了した。

 山田さんが若年性認知症と診断されたのは、7年前、51歳の時だ。年賀状の文字の乱れを友人から指摘され、医療機関を受診した。診断名にも増して衝撃を受けたのは、医師の言葉だ。

「5年で廃人になります」

 告知から数カ月、存在価値を失ったように感じて涙に暮れた。

「当事者の集まりに来ても、ほとんど話さず帰る感じでした。山田さんが変わったのは、女性の当事者と会ってからです」と、当時を鬼頭さんは振り返る。

「日常の小さなことで困っているのは、私だけじゃないと元気が出て。自分ができることをやろうと思ったんです」(山田さん)

 発症から7年、少しずつ症状は進行したと思う。けれども、山田さんは、「今がとても楽しい」と言う。自分の話で当事者や家族が元気になってくれること、多くの出会いがあること、美味しいものを食べること。

「認知症になって、できなくなることもあるけれど、できることもたくさんあると、伝えたいんです」(同)

 一方、つらかったこと、周りにしてほしくないことは、自身の経験からはっきりしている。

「『どうせわからないでしょ』『できないでしょ』と、その場にいないかのように無視されるのは、つらいことです」(同)

 身近な家族や友人、同僚の一言は胸をえぐる。

「例えば、『あまりしゃべれないですから』ってご家族が言う。でも、実際にその人と話してみると、ゆっくりですがたくさん話します。話すのに時間がかかるから、話すのを諦めていく人が多いのかも。家族こそ、話を聞いてあげてほしい」(同)

 山田さんの言葉からわかるのは、認知症になるということは、私たちが思い描く認知症像とは明らかに違うということだ。(編集部・澤志保)

※AERA 2018年11月12日号より抜粋