帰還の実態を告発すると同時に日本の援助についての不安も隠さない。前出の老人は「ありがたいが、そのお金がいったいどこに行くのか……」。

 そもそも寄り添うべきは、いまだに軍政が幅を利かせる政府ではなく難民である。昨年の11月16日、ミャンマー政府に対して迫害をやめるよう求めた国連決議を日本は棄権している。135カ国が賛成をしたこの人道的な勧告を無視した理由を、河野外相は「まず避難民に帰ってもらうことが先決」と述べているが、これはまさに順序が逆である。

 最も重要なことは、使途が不明な援助金よりも難民の安全の担保である。ミャンマー政府がロヒンギャに対して行った虐殺やレイプ、焼き打ちに対する検証作業はまったく進んでいない。70万人がなぜ逃げなくてはならなかったのか。国軍の関与を認めたスーチー氏からも謝罪の言葉は一切、発せられていない。皮肉なことに帰還が始まると同時にクトゥパロンのキャンプには在外ロヒンギャたちの支援による手づくりの小学校が開校した。すぐに帰れないからこそ、難民たちは長期のバングラデシュ在留を覚悟している。

 この学校でミャンマー語を学び、ミャンマー国歌を歌う子どもらが待ち焦がれる真の帰還はミャンマー国籍付与とのセットでなければならない。

 そしてまたそのことを強くミャンマー政府に求めることが、同国への最大の投資国の一つである日本政府の責務と言えよう。現在も帰還は遅々として進んでいない。河野、スーチー両氏の会談は茶番である。(ジャーナリスト・木村元彦)

AERA 2018年3月19日号