まず、18歳のとき。母子家庭で、寝る間を惜しんで働いていた母が若年性アルツハイマーを発症。人生や死についていや応なく考える中で看護師になろうと決心した。生活費と学費を稼ぐために福岡の有床診療所で働きながら看護学校に通った。

 2度目は23歳のとき。上京して大学病院で働きながらウェブの専門学校へ。当時IT業界では、落合さんと同じ1986年生まれが「ハチロク世代」と呼ばれて活躍し始めていた。落合さんものめり込み、知識とIT人脈を増やしていった。

 その後、病院を辞めて訪問看護の現場に身を投じたのは、何人もの患者の「家で死にたい」という訴えに応えられなかったことがきっかけだ。訪問看護という社会的受け皿が貧弱なため、一人一人の人生最期の願いをかなえてあげられない。それが、悔しかったのだ。

 現在に至る3度目のパラレル期間はそこから始まった。緩和ケア認定看護師資格を取得し、政策や社会のことを学ぼうと日本政策学校にも通った。日本政策学校で聞いたグラミン銀行の創設者、ムハマド・ユヌス氏の講演には衝撃を受けたと話す。

「ユヌスさんはバリッバリの経営者でした。どんなにいいことでも、社会的に広めるにはビジネス感覚がなければダメなんだと痛感しました」(落合さん)

 勤務先の訪問看護事業所の新拠点をゼロから立ち上げながら、経営や人材採用について貪欲に学んだ。やがて「看護現場を知っている」「経営の話ができる」「ITにも詳しい」と口コミが広がり、訪問看護・介護事業に新規参入した企業などからも「知恵を貸してほしい」と声がかかるようになる。

 ちゃんと仕事にすることを意識し始め、不定期で相談に乗っていた相手には「中長期で関わるので月額報酬の『仕事』にさせてほしい」と願い出た。

 リクルート出身で働き方についての著書もある藤原和博さんが、「二つの分野で100分の1の人材になれば、100分の1の2乗で1万人に1人の人材になれる」と話していた。

「自分にとって一つ目の『100分の1』は訪問看護。二つ目はITなのかな」(落合さん)

 いま、落合さんが手がけるすべての仕事は、「訪問看護や在宅介護をもっと広める」という志につながっている。(編集部・石臥薫子)

AERA 2017年12月18日号より抜粋