橋本治(はしもと・おさむ)/1948年生まれ。作家。小説、評論、戯曲、エッセー、古典文学の現代語訳など幅広く文筆活動をおこなう。初の新聞連載「黄金夜界」を連載中(撮影/写真部・小原雄輝)
橋本治(はしもと・おさむ)/1948年生まれ。作家。小説、評論、戯曲、エッセー、古典文学の現代語訳など幅広く文筆活動をおこなう。初の新聞連載「黄金夜界」を連載中(撮影/写真部・小原雄輝)

「意地悪」という言葉に良いイメージはないが、著書『いとも優雅な意地悪の教本』を上梓した橋本治さんによると、「バカ」になると「意地悪」は言えないのだという。橋本さんに「意地悪」にまつわる話を聞いた。

「優雅な意地悪」から連想するのは、京都人のはんなりしながら中身は厳しい物言いや、フランス貴族が華やかな宮廷で繰り広げる「言葉を使った戦い」だろうか。

「意地悪は単なる悪口や暴言とは違います。相手をよく観察したオーダーメイドの表現でなくてはいけません。自分のネガティブな感情をオブラートに包んで出すから、表現力を鍛えつつ感情を発散できるので、精神衛生上もよい。知的かつ優雅な行為なのです」

 意地悪には、知性が必要になる。立て続けに起こる政治家の暴言問題やキレた一般人の言動について橋本さんは「日本人の知的劣化が進んでいるのは、モラルの壁が低くなったから」と言う。

<言葉がなぜ暴力的になるのかといえば(中略)そういう言葉を使う人間がその瞬間バカになっているからですね。意地悪にはソフィスティケイションが必須で、バカになるとそれが出来なくなるのです>

 具体的に言えば、「死ね」と言いたくなったら「死ねばいいのに」と言葉を増やすだけで、衝撃はぐっと弱まる。さらに「どうして生きているんだろう(死ねばいいのに)」と表現を変換すれば、「死ね」という断定から遠く離れて、存在意義の問いかけに。

 生きていれば何かの拍子に憎悪が湧いてしまうこともあるだろう。自分の気持ちにふたをせず、「死ね!」と短絡的に言うのでもない、憎悪を処理する方法が「意地悪」なのだ。

「意地悪は完全犯罪であるべきです。本人の目の前で口にしても、すぐには相手に伝わらず、それでいて『何か言われた気がする』と思わせる。なぜ意地悪が必要かといえば、『あなたがそのままでいると、世の中が不快になるので直してください』ということを伝えるためです」

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