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「宿題は信念を持ってやらなかった」ノーベル賞受賞の益川教授の幼少期

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市岡ひかりAERA

ますかわ・としひで/名古屋市生まれ。名古屋大学大学院理学研究科博士課程修了。素粒子理論が専門。2008年にノーベル物理学賞を受賞(撮影/MIKIKO)

ますかわ・としひで/名古屋市生まれ。名古屋大学大学院理学研究科博士課程修了。素粒子理論が専門。2008年にノーベル物理学賞を受賞(撮影/MIKIKO)

 ノーベル賞受賞者といえば世界の頭脳。だが、子ども時代はオール100点とはいかなかったようだ。

「CP対称性の破れ」を理論的に説明する「小林・益川理論」で2008年にノーベル物理学賞を受賞した益川敏英・京都産業大学教授。英語が基本のノーベル賞受賞記念スピーチを日本語で行ったことでも有名だが、子どものころから国語や英語は苦手だったという。

*  *  *
 子どものころは勉強はしなかったね。だって、遊んでいるほうが面白いじゃない(笑)。宿題は信念を持ってやらなかった。一度、母が学校に「ちゃんと息子に宿題を出してください」と言いに行ったことがあって、先生に「毎日出していますが、敏英くんがやってこないだけ」と言われてばれた(笑)。怒られたけど、廊下に立たされるくらいたいしたことないよ。

 数学や物理、化学は原理さえ覚えれば解けるから得意。でも国語や英語は見事に0点。国語は漢字を覚えないといけないでしょう。繰り返し書いて覚えるのが苦手だった。英語は、母親の音痴が遺伝したらしく、人の発音を聞いてまねできない。中学1年の時、教科書の音読で「マネー」を「モーネー」と読んでしまったら、先生やクラスメートが大笑い。それ以来「英語は性に合わん」と捨てたんだ。

 科学に興味を持ち始めたのは子どものころ。銭湯の帰り道、父が「月食はなぜ毎月起こらないか分かるか」と知識を披露してくる。電気技師になりたかったらしく、科学の知識があった。教育ではなく、ただ子ども相手に自慢したかったんだな。

 実家は砂糖屋で両親ともに商売で忙しかったから、子どもがどうしているかなんて細かく見てない。でも、机の上にポンッと、読めとも言わずに子ども向けの科学雑誌が置いてあることがあった。本は子どものころから大好きで、誰より先に本が読めるからと立候補して図書委員になった。高校生から古本屋をめぐり、数学の専門書を買ったりしていたよ。当時の日本は数学の導入期だったから「この学問がなぜ必要か」というところから書いてあって面白かった。


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