「当時の西田厚聰社長は、原子力企業で世界ナンバーワンになると考えていたのでしょうが、それは『願望』であって戦略ではない。願望はいくら積み上げても、戦略にはならない」

●逐次投入の戦い方

 また重要な戦略であればあるほど、最悪の事態を想定したリスクマネジメントが必要だが、それも不十分だったと指摘する。東日本大震災は予測できないにせよ、最悪の事故が起きた場合に事業を継続できるか突き詰める必要があったはずだという。

 15年にWHがアメリカの原発建設会社を買収した判断も、根拠のない楽観主義と、経営学でいうところの「サンクコスト(埋没原価)・バイアス」によるものだと同教授は見る。サンクコストとはすでに使ってしまった費用のことで、途中で事業をやめても戻ってこない。しかし人間は失ってしまったものに価値を感じる傾向にあるため「あれだけ投資したのだからもったいない」とさらに投資を続けてしまうことを言う。

「ここまで兵力を投入したのだから撤退はできない、と逐次投入を続けた日本軍の戦い方と同じです」(同教授)

 もう一つ、組織そのものの欠陥として、日本軍と東芝に共通するのは「行き過ぎた縦割り」だ。『失敗の本質』では、「戦争において、近代的な大規模作戦を実施するには、陸・海・空の兵力を統合し、一貫性、整合性を確保しなければならないが、日本軍の統合能力は、米軍には遠く及ばなかった」と指摘している。東芝の場合、事業が多岐にわたるため、ある程度の縦割りは必要だが、「ガチガチの縦割り」(同教授)が他の部署に口を挟めない空気をつくった。

「原子力事業部がWH買収を進めようとした時、他の部門では疑問視する人もいながら消極的賛成に回ってしまった。組織論的に言うと、分業を進めれば進めるほど、統合が必要になるが、東芝は統合力に欠け、『総合電機』ならぬ『集合電機』になってしまった」(同教授)

●過度な精神主義依存

 三つ目の共通の敗因は「ガバナンスの欠如」。結果として、おざなりの形式主義と過度の精神主義がまかり通った。社外取締役制度を導入したものの、機能を果たさず、15年には「チャレンジ」の名の下での過大な目標達成の強要が明らかになった。

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