AERA 2017年1月16日号(撮影/蜷川実花)
AERA 2017年1月16日号(撮影/蜷川実花)

 オフに入って日本ハムのOBでもあるダルビッシュ有(現テキサス・レンジャーズ)とトレーニングを共にし、優勝旅行先のハワイでも自主トレに励んだ。

「野球は趣味」と大谷は言う。

「野球が頭から離れることはないです。オフに入っても常に練習していますもん。休みたいとも思いません。ダルビッシュさんからアドバイスをもらったりしますが、一人でああだこうだ考えながらトレーニングすることが好きで、それまでできなかったことができるようになるのが楽しいんです。そういう姿勢は高校時代と変わりません」

●目標より3キロ速い

 生まれ育った岩手の花巻東高校時代は、現在の大谷とは違い、目標を公言してはばからなかった。「163キロ」の目標を紙に書いて、常に目にする位置に貼っていた。入学時に監督と一緒に定めた目標は160キロ。しかし、160キロを目指していては158キロ程度で満足してしまうかもしれない。だからあえて、目標より3キロ速い数字を文字にしたためた。高校最後の夏、岩手大会準決勝一関学院戦で160キロを達成した。当時、大谷はこう話していた。

「160キロを言い始めた時、周りは無理だろうと思っていた。無理だと思われていることにチャレンジするほうが、自分はやる気が出る。そうやって自分にプレッシャーをかけていないと努力しないので」

 また、メジャー挑戦の夢も当時から口にしていた。日本のドラフトで上位指名されるような選手が、高校卒業後すぐにアメリカに渡って、成功を収めた例はない。その先駆者になろうとしていた。

「野球選手なら誰でも目指す、すごい場所がメジャーだと思う。一流選手がアメリカに行く姿を見て、自分もそういう人たちと一緒にやりたいと、ずっと小さな頃から思っていたんです」

 悩んだ末、大谷はドラフト指名を拒否する。しかし、日本ハムは1位で強行指名。「夢への道しるべ」と題した冊子を作り、国内球団を経てアメリカに渡ることが、結果としてメジャーで長く活躍するという大谷の夢への近道であると説いた。

 そして、メジャー挑戦に代わって大谷のパイオニア精神を刺激したのが、「二刀流挑戦」だった。当時、大谷家との交渉役を担い、道しるべを作成したのが大渕隆スカウトディレクター(SD)だ。

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