アジアカップの日本代表練習で監督として指示をするアギーレ氏。もうこの姿は見られない/1月17日、豪ブリスベン (c)朝日新聞社 @@写禁
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アジアカップの日本代表練習で監督として指示をするアギーレ氏。もうこの姿は見られない/1月17日、豪ブリスベン (c)朝日新聞社 @@写禁

 昨年9月の八百長疑惑発覚から4カ月後の遅きに失した決断の背景には、日本サッカー協会のアギーレ氏に対する「未練」が見え隠れする。

 東京・御茶ノ水にある日本サッカー協会の持ちビル、「JFAハウス」。3日夕方に開かれた緊急記者会見で、アギーレ監督の解任を発表する大仁邦彌会長の口ぶりはいつになく滑らかだった。

「捜査が始まり、そのあとには起訴され、裁判が始まる可能性がある。6月から始まるワールドカップ(W杯)アジア予選に影響が出ないようにリスクを排除する必要がある」

 スペインリーグ、サラゴサ監督時代の八百長疑惑が現地報道で明らかになったのは昨年9月末。それから続いていた居心地の悪さから、解放された瞬間でもあった。

 解任会見前日の深夜になって、事態は動いた。スペインにいる監督の代理人弁護士を通じて、検察当局が提出した告発が裁判所に受理されたことが確認された。

 ここからの協会の動きは、きわめて速かった。翌3日午前9時から、田嶋幸三副会長、原博実専務理事の役員、関連部署の責任者らによる会議がもたれ、大仁会長が「契約を解除したい」と提案すると異論は出なかったという。

 それでも、八百長疑惑が出てから解任までの約4カ月間、協会の動きは鈍く、後手に回った印象は否めない。

 その背景には、4年越しで代表監督に迎えたアギーレ監督を手放したくない、という思いがあったことがうかがえる。

 2010年W杯南アフリカ大会のあとに就いたザッケローニ監督から、日本協会は自ら国際市場に乗り込んで、人選と交渉を進めるようになった。

 それまでは、もともとつてがあったり、紹介を受けたり、あるいは、Jリーグで指導経験がある監督に就任を依頼する形だったが、選択肢を広げて優秀な監督を連れてくるように方針転した。

 そうした人選のなかで、アギーレ監督は南アフリカ大会後の時点で候補者として接触を持ったひとりだった。母国メキシコ代表と、欧州トップリーグのスペインの両方での指導実績を持つ意中の人と言っていい。交渉役を務めた霜田正浩技術委員長は解任決定を受け、「(私は)できるだけ長く監督を続けさせてほしいと(協会に)お願いしていた」と未練たっぷりに話している。

AERA  2015年2月16日号より抜粋