『ポテトチップスと日本人――人生に寄り添う国民食の誕生』
朝日新書より発売中

 物書きになって10年。本も何冊か出させてもらったが、振り返ってみると、そのすべてが「特定の作品や現象を細かに観察することで、それらが生み出された当時の日本社会を捉えようとするもの」だった。「特定の作品や現象」とは、『美少女戦士セーラームーン』『ドラえもん』『こちら葛飾区亀有公園前派出所』「離婚」「倍速視聴」などだ。

 このたび、この並びに「ポテトチップス」が加わった。
 日本で食べられているジャガイモ加工食品のうち、7割以上が「ポテトチップス」であり、日本のスナック菓子全体の売上のうち、少なくともその40%以上をポテトチップスが占めている。スーパーやコンビニのスナック菓子棚で常に特等席をキープしているのはポテトチップス。種類は限りなく豊富で、新製品投入ペースは異常に速い。

 日本人は、なぜかくもポテトチップスが好きなのか。その理由を戦後史と共に追いかけていけば、「日本社会」と「日本人」のありようが見えてくるはず。これが本書の狙いだ。

 こんな話がある。戦時中、ポテトチップスの原料であるジャガイモは、サツマイモやカボチャなどと共に米の代用食(節米料理)として「仕方なく」食べられていた。それゆえ、戦後しばらくの間は、「もうイモなんか食べたくない」という日本人が一定数いた。

 実際、国産ポテトチップスの元祖「フラ印アメリカンポテトチップ」を1950年に発売した濱田音四郎は、その売り込みにかなり苦労している。ホテルのビアガーデンなどへセールスに行っても、こんな感じだった。
「ジャガイモはサツマイモより下位にみられていたので、けんもほろろ。『なんだ、ジャガイモなんかで作ったものなんか、持ってきてもらっては困るよ』」(「オール生活」1983年7月臨時増刊「ハワイから里帰り 国産ポテトチップスの“生みの親”」)

 そのような嫌われ者のジャガイモを、なぜ先人たちはスナック菓子として大量生産しようなどと考えたのか。そしてなぜ日本人は、それをすんなり受け入れたのか。そこには、戦後日本のさまざまな世相が関係している。

 ジャガイモデンプンとして消費されていたジャガイモがコーンスターチの輸入で余ってしまい、その使いみちとしてポテトチップスに白羽の矢が立ったこと。戦後に食糧事情が回復し、国民が「甘いもの」より「しょっぱいもの」を求めはじめたこと。人口の多い団塊ジュニアの子供時代のおやつとして、手間がかからず腹にたまるポテトチップスは、忙しい親にとって都合がよかったこと。

 要するに、ポテトチップスは時代の映し鏡なのだ。1980年代以降のコンビニの急増は、各メーカーの多品種展開を大いに促したし、1990年代後半以降に加速した健康志向や少子化は、ポテトチップスの売上を一時的に減少させた。2010年代にはヘルシー&オーガニックな商品が幅をきかせ始める。

 本書では、ポテトチップスはもはや日本人の「国民食」だと規定する。国民食とは、ある国の大衆に親しまれている、国民の食生活に必要不可欠な料理のこと。日本では米飯や味噌汁、寿司や天ぷら、そばやうどん、そして外国発祥ながら日本で独自進化を遂げたラーメンやカレーも国民食だ。ならばポテトチップスも当然、国民食である。ラーメンやカレーと同じく、外国発祥ながら、かなり日本独自の進化を重ねているからだ。

 たとえば、高級バーなどで出される酒のつまみだったポテトチップスを、1962年に初めて「おやつ」として一般向けに販売した湖池屋の第一弾ポテトチップスの味付けは、世界標準である「塩」ではなく「のり塩」だった。当時、海苔をフレーバーにしたポテトチップスは、世界中どこにもなかった。

 つまり、日本で初めて一般向けに売り出されたポテトチップスは、最初から“日本独自”であり、いきなり“和風”だったのだ。さらに言えば、カルビーの「ポテトチップス うすしお味」にはこんぶエキスパウダーが入っているし、同じくカルビーの「コンソメパンチ」には梅肉パウダーが入っている。昆布も梅肉も日本独自の“隠し味”だ。

 日本人は歴史的に、海外のものをそのまま受け入れるのではなく、自分たちの嗜好や環境にフィットさせるべく、念入りに調整と改造を重ねてきた。ラーメンやカレーはもちろん、軽自動車やリミテッドアニメや仏教もそうだ。日本人が古から得意とするそんな手腕は、ポテトチップスという外来の食べ物に対しても、いかんなく発揮されている。

 冗談でも大袈裟でもなく、ポテトチップスを透かせば時代が見える。日本人が見える。読了後には、ポテトチップスが食べたくて仕方がなくなることをお約束しよう。