『また会う日まで』池澤夏樹著
朝日新聞出版より発売中

 秋吉利雄は一八九二年(明治二十五)に生まれ、少将にまで昇級した海軍軍人であり、敬虔なキリスト教徒であり、優れた天文学者でもあった。この本作の主人公であり語り手は、(著者)池澤夏樹の父方の大伯父にあたる実在の人物だ。

 本作は利雄の個人的な回想録であり、しかし同時に、日本の明治末期から第二次大戦終戦後までの近代日本を描く壮大な歴史年代記でもある。そこにはさまざまな戦いと対立があるが、最も大きいのは個人の思想信念と国家共同体のそれだろう。

 秋吉利雄は作品の冒頭で、自分がじきに天に召されることを悟っている。野球観戦で雨に降られた彼は肺炎を起こし、ついには末期の床につく。利雄はなぜ雨に打たれるに任せていたのか。彼は言う。「わたしは亡くなった僚友に思いを馳せていた。あいつが身に負った水の量に比べれば、こんな雨などなにほどのものでもない」

 僚友とは海軍兵学校の四十二期の同期生加来止男のことだ。利雄はこの兵学校を卒業した後、海軍大学校へ進学し、海軍籍のまま帝大の天文学科で学び、あまり海上に出ずに済む「水路部」(水路の測量や、水路図誌、航路図誌の作成を行う)に配属を希望する。艦内のホモソーシャルな階級社会と凄絶な体罰主義に嫌気がさしたこともあるようだ。利雄が日食観測隊を率いてローソップ島に滞在し、皆既日食の観測成果をみごとあげる章は、軍務とはいえ天文学者としての輝かしい活動として、前半のハイライトとなる。

 利雄は多くの死に直面する。妹(池澤夏樹の祖母)のトヨを産褥熱で亡くし、従妹であり妻のチヨと息子を感染症で亡くす。すべては神の思し召しとして受け入れられるだろうか。トヨの夫末次郎は、トヨと他の男性との子を引き受けて結婚した聖母マリアの夫のような男なのだが、当時でさえ珍しい(千人に一人)産褥熱での妻の死を経験したことで、神への信仰をなくす。銀行員の末次郎にとって「千人に一人」という数字は冷厳なものであり、それと向きあった末、神に不満を表明することにしたのだった。

 利雄にそのような目立った分裂は見られない。関東大震災の一年後、一九二四年(大正十三)に三つの身分をもっていたと言う。
一、 海軍大尉である
二、 東京帝国大学理学部の学生である
三、 芝白金の三光教会の信徒である

 この三本の木は根を一にしていると言うのだ。では、戦争へと突き進む国の軍人としての務めと、「汝、殺すなかれ」と説く宗教への個人としての信心と、数値の結果を絶対のものとする科学者の信念は、どのように共存するのか。

 彼のなかで、主の教えと進化論は「両立している」と言う。創世記は一つの物語(ストーリー)だとわかっていると。しかし本作全体を読むとき、作者がstoryとhistoryが語源を同じくしていると繰り返し念押ししていることにも読者は留意すべきだろう。ストーリーこそがヒストリーであるなら、創世記も一つの歴史として利雄のなかに確固としてあるのだ。利雄はこうも言う。「天体の動きは究極の合理だ。<中略>そこに俺は主の御心を感じる」「信仰と自然科学は矛盾しない」と。

 とはいえ、キリスト者であることと軍務には折り合えない部分が多々出てくる。彼は瓜生外吉や内村鑑三などを例に出して折り合いをつけようとするが、水路部は真珠湾の攻撃にも大いに貢献したのだった。さらに苦しい戦況を精神論で押し切ろうとする軍部のやり方は理論性に欠き、「大本営」発表は事実と合致しない。戦局の悪化とともに利雄の懊悩は深くなっていく。

 トヨの長男武彦の子夏樹として、作者もわずかながら登場する。父福永武彦をふくめ身内を描く作者の筆は、どんな瞬間もなるべく私情を排し、客観的な事実を正確に伝えようとする。そう、本作は、近代以降に発達しどんどんエモーショナルになっている散文の小説とは、あえて反対を向いているようだ。情を汲む抒情が得意なのが散文のノヴェルであるなら、出来事(ヒストリー)を物語(ストーリー)として叙する叙事を旨とした韻文のロマンに近い感触がある。

 だが、そんななかにときおり、一掬の親しみや懐かしさや惜別の思いがにじんでいるように思う。タイトルの「また会う日まで」は讃美歌のタイトルだ。作中、四回ほど歌う場面がある。トヨの葬儀のとき、ローソップ島での“送別会”で、利雄の再婚相手と連れ子たちが初めて会う場面、そして……。そんな箇所にも、わたしは作者の静かな思いとまなざしを感じたのだった。