ふたご『母戦記』村井理子著
朝日新聞出版より発売中

 村井理子さんの著作や記事、レシピ、翻訳作品のファンだ。

 これは、私だけではなく、すべての村井読者が心の隅でいつもこれを気にしているんじゃないかと思っているのだが、すごいスピードで刊行されていく村井作品に触れる度に、「ぎゅうぎゅう焼き」こと「村井さんちのオーブン焼き」をオーブンから取り出す度に、ふと思う。「この方、双子を育てているんだよな」。こんなにたくさん仕事しながら二人同時に育児しているってどういうこと? すごいシッターさんとかがついているのかな? めちゃくちゃ身体が丈夫とか? ちなみに村井さんが「出産翌日」(!!)に書いたとされる、元アメリカ大統領補佐官コンドリーザ・ライスについての文章、私、ほとんど同時期に読んでます。

 双子育児。それは初めて『赤毛のアン』を読んだ小学生の時から、とんでもなく気力体力を要する自分じゃどうにもならない極限状況として、私に擦り込まれてきた。アンは知っての通りいつもハイテンションなのだが、かつて引き取られていたハモンド家で三組の双子の面倒をみさせられていたせいで、双子と聞くたびに、壮絶な日々を思い出し、やや元気をなくしているほどである。もちろん、今作は双子を育てる大変さと同時に、二人の人間が同時に育っていく過程での輝かしい光景もいっぱい描かれている。しかしながら、双子育児がほぼワンオペと知っただけでもびっくりしたのに、村井さんは執筆ばかりか、介護に大型犬の世話、闘病など、ありとあらゆるタスクに同時に取り組んでいく様が克明に描かれて、正直なところ呆気にとられた。たった一人の五歳児育児でさえ、ろくにこなせていない私からするとほとんど超人である。村井さんは、お子さんたちにスマホを早めに与えてしまったことを後悔しているきらいがあるが、うちも同じようなものだし、そんなことよりも、大自然に囲まれた環境でのびのび育つ二人のお子さんは、生き生きしていて幸せそうだ。幼年期の育児は体力、思春期は気力が必要らしい。お子さんが高校生となった今、村井さんはちょっとだけ寂しさをにじませているが、家族関係は理想的だ。子どもたちが進んで料理をしたり、相談相手になったりしてくれるなんて、私からしたら夢のようだ。こんな読み方は、村井さんにとって本意ではないのかもしれないが、膨大な仕事をこなしながらも我が子とこんな風にフラットかつ正しく向き合えるなんて、羨ましすぎる。すごい、すごすぎる。どうなったら村井さんみたいになれるんだろう。時折語られる反省や孤立感、後悔をふくめて、まぶしくかじりつくようにして読み進めた。本作のいいところの一つは、村井さんが培ってきた育児や家事のライフハックを惜しげもなく披露してくれる点だ。ツナカレーやプリント撮影、SNSの制限、スケジュール管理法はすぐに真似をした。

 村井さんの優れたバランス感覚は、孤独だった十代や家族との別れから培った気丈さ、そして本人も自覚するように、なんでも面白がる知的好奇心ももちろん大きい。しかし、最後まで読み進めると、あきらかに執筆活動が、この爆裂に多忙な日々の核となり、家族ばかりか村井さん自身の暮らしやメンタルを支えていることがわかるのである。執筆のための時間を確保すること、調べること、締め切りを守り、他者とつながること。息抜きどころか現実的な作業の積み重ねでしかないが、それこそが、家族のために時に影にならざるをえない村井さんの輪郭を取り戻し、一人の人間に戻してくれている。自分のテリトリーから離れ、社会から必要とされる場所を行き来することで、逆説的に村井さんは少女の頃から大切に守ってきた自分の世界を維持することができるのだ。村井さんの言う「そこに戻れば常に生きていくことができるという状況をコツコツと積み上げていくこと」は、育児に関係なく、この時代を生き抜くすべての人々にとって至言だろう。それは一見無駄なものの中にこそ潜んでいるのかもしれない。村井さんがドキュメンタリーや『闇金ウシジマくん』から知のエネルギーを取り戻したり、子どもたちの受験勉強中にも罪悪感なく映画を楽しむくだりは、本作に登場するライフハックの中でもっともきらめいている。私にも一番真似できそうで、そしてなによりも一番真似しなければいけないのが、守るべき相手を支えながら、自分の好きを手放さない強さなのだ。日本では今なお、母の献身は当たり前とされているから、これはもう戦いかもしれない。でも、戦い抜く価値はある、自分だけではなく、大切な誰かのために、と本作は力強く、語りかけてくれる。

 もしかすると、仕事であれ育児であれ、一番重要なのは、いかなる時もこの自分の領域を守ること、なのではないかと読み終えた後、しみじみと思う。