昨年、九代目・市川中車を襲名した香川照之さん。日本映画界トップクラスの役者の歌舞伎界への挑戦は、前例のないもの。その分、世間を大きく驚かせることとなりました。そんな香川さんが、俳優業をはじめ、決断までの経緯や離婚した両親や自身の妻、子どもへの思いを告白しているのが、書籍『46歳の新参者 市川中車』です。



 文筆家としての一面も知られる香川さんは、本著の中で「俳優」という職業について語っています。



「俳優という仕事は"自分"の方向に限りなく矢印が向いてしまう悪しき傾向を内包している。この仕事をすればするほど、"傲慢になれ。間違えろ"という誘惑が常にのしかかってくる。チヤホヤされ、甘やかされ、自分が何かひとかどの存在であるかのように勘違いさせられる。それをどれだけ跳ね除けられるか」(香川さん)



どうやら、俳優という仕事には「傲慢になる」というトラップが潜んでいるようです。



 例えば、顔立ちが綺麗な少女は、街中でスカウトされ、この業界に入り、ヒット作に出演する。人気も出て自信を得ることになります。その結果、二十代も半ばになれば、マネージャーを言葉で木っ端微塵にやっつける厄介な女優になったりするのです。周囲の大人が、自分を中心に動くことに慣れてしまうのです。



そんな彼女たちも向き合わなければいけない壁が、「人気」と「年齢」。若いうちは商品価値がありますが、年齢とともに状況は変わってきます。



「お金が回っているうちはまだしもではあるが、人気が翳ってかつての勢いを失うと、悲惨な結末を迎える場合がある。適切な指導者にも恵まれず、劇界の完全なる迷える子羊となる」(香川さん)



 多くの女優を見てきた香川さんだからこその言葉です。人はある地点を越えると、努力を怠り、嫌なことはしなくなり、傲慢さだけが突出してしまう。俳優だけではなく、一時期の成功者も陥りやすいのが、この「傲慢になる」というトラップなのです。



 逆に傲慢に足をすくわれずに活躍している俳優もいると、香川さんは語ります。『トウキョウソナタ』で共演した小泉今日子さんは、「これまでどんな人生を送ってきたのだろうと思うほど、いい意味での"どうでもいい感"を持っていて、その執着のなさといい、到達している度合いが素晴らしい人である」と評します。また、松たか子さんも、信頼に足る人であると言います。



 傲慢のスパイラルに落ち込んでしまった若者を何人も見てきた香川さんは、「我が身の傲慢さを捨て、真実を正しい目線の高さで見て、謙虚に身を構えることができれば、物事は悪く転ばない」と言葉を残しています。



 芸の世界とは違うかもしれませんが、一般人の私たちにとっても学ばなければいけない姿勢が、香川さんの言葉のなかには多く含まれています。香川さんの人間としての奥深さがつまった一冊だといえるでしょう。