橋爪四郎さん(左)と古橋広之進さん=撮影・堀井正明
橋爪四郎さん(左)と古橋広之進さん=撮影・堀井正明

 戦後の日本水泳を古橋広之進さんとともにリードした1952年ヘルシンキ五輪男子1500メートル自由形銀メダリストの橋爪四郎さんが3月9日、前立腺がんのため死去した。94歳だった。

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 和歌山県出身。古橋さんと同じ28(昭和3)年9月生まれ。模範泳法で和歌山を訪れた古橋さんに誘われて上京、日大でともに猛練習を積む。自由形の世界記録を連発して国民的なヒーローとなった古橋さんのライバルとして活躍した。

 敗戦から4年後、古橋さんが1500メートル自由形の予選で驚異的な世界新を出して「フジヤマのトビウオ」として注目された49(昭和24)年全米選手権で、橋爪さんは古橋さんの前の組で先に世界新で泳いでいた。

 180センチを超える長身。ドイツ文学者・エッセイストの池内紀氏は著書『二列目の人生 隠れた異才たち』の中で「もうひとりのトビウオ」として橋爪さんを取り上げ、こう書いている。

「古橋が我流のスタイルで、水をたたきのめすように泳いだのに対して、橋爪の泳ぎは流れるように美しかった。そっと水を掻(か)くようにして、音もなく進む」

 引退後、古橋さんは日本オリンピック委員会(JOC)会長などを歴任したが、橋爪さんは普及に力を入れた。横浜駅東口にあった「スカイプール」のヨコハマスイミングクラブ(YSC)で教え、76年に横浜市緑区の鴨居に「橋爪スイミングクラブ」を開いた。

 現在60歳の私は小学2年からYSCに通い、橋爪さんにも指導を受けた。あるとき声をかけられた。長身をかがめて同じ目の高さになった橋爪さんから、「オリンピックに出たいか?」と聞かれた。うなずくと、「一生けんめい練習を続けなさい」と言われた。それが、どれだけ励みになったかわからない。

 99年、JOC会長を退任した古橋さんの労をねぎらう会に出席した当時70歳の橋爪さんを取材した。古橋さんを名前の広之進から「ヒロさん」と呼んで、二人で楽しそうに談笑していた。

 強化と普及は日本水泳が前進するための両輪。古橋さんは選手の頂点を引き上げ、橋爪さんはすそ野を広げて、二人で水泳の発展に力を尽くした。合掌。(本誌・堀井正明)

週刊朝日  2023年3月31日号