仙道敦子さんと杉本哲太さん(c)UNCHAIN10+1
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「東北出身ではない自分には、東日本大震災を描く資格はないと思っていて、ずっと読まずにいたんです。でもタイトルに惹かれて読んでみました」

 石巻西高校は、震災で9人の在校生と2人の入学予定者を喪った。生徒を守りきれなかったと悔いる齋藤さんは、残った人々がどう生きてきたのかを書き記したのだ。

 21年3月11日、山本監督は宮城県を訪れ、齋藤さんから話を聞いた。また震災時に石巻西高2年だった伊藤健人さんとも会った。5歳だった弟を喪った伊藤さんは、瓦礫(がれき)の下から弟の好きだった青い鯉のぼりを見つけ、空に掲げた。その後「青い鯉のぼり」は、伊藤さんが住む東松島市での鎮魂イベントに定着した。

 山本監督は伊藤さんの「10年経っても傷が癒えることはありません。傷と共に生きています」との言葉に心が動き、生きる意味を考え悩み続ける人々、それを支える人々の姿を描く台本を書く。

 できあがった台本は、「表現者の力を束ねて作りたい」という文面とともに、監督が俳優たちに送った。

 桜庭ななみさんは台本を読んだ感想を、

「いろいろな痛みを抱えながらも前に進む姿は素敵だなと思いました。私が台本から感じた魅力を映画を観る人に伝えられたらいいなと思ったし、すごく素敵な作品に出会えたと感じました」

 と語る。しかし映画会社の反応は違った。

 山本監督が声を低める。

「大手会社に持ち込みましたが、断られました。『コロナが収まってから考えませんか』と言われましたが、それではこの作品はいつ届くのか?」

 結局、自主製作映画にすることに決めた。

 営業が苦手な山本監督を支えるべく、前出の舞木さんら若手俳優が集結。企業協賛金集めやクラウドファンディングを展開し、なんとか8千万円余の資金を調達した。

 通常、映画を作る場合、ロケ地での撮影は最小限にとどめ、東京で撮れるシーンは東京で撮る。そのほうが交通費や宿泊費を節約できるからだ。しかし今作は、山本監督の強い意向で、全編宮城県で撮影を敢行した。

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