宮家邦彦(みやけ・くにひこ)/ 1953年、神奈川県生まれ。78年外務省に入り、日米安全保障条約課長や在中国・在イラク大使館公使などを歴任。2005年に退官し、外交政策研究所代表を経て現職。
宮家邦彦(みやけ・くにひこ)/ 1953年、神奈川県生まれ。78年外務省に入り、日米安全保障条約課長や在中国・在イラク大使館公使などを歴任。2005年に退官し、外交政策研究所代表を経て現職。

 米下院議長のナンシー・ペロシ氏が台湾を訪問したのを機に、米中関係が悪化している。このまま戦争へと発展してしまうのか。『米中戦争 「台湾危機」驚愕のシナリオ』の著書がある宮家邦彦氏に解説してもらった。

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 度重なる中国の恫喝(どうかつ)とバイデン米政権の要請を無視するがごとく、8月2日にペロシ米下院議長は予想どおり台湾訪問を強行しました。少なくとも短期的には、ペロシ議長は確信犯、習近平国家主席は3期目を固め、バイデン大統領はレームダック化を回避するという、三者三様の見事な「出来レース」でした。

 中国側の準備も万全でした。台湾を包囲する大規模軍事演習など一朝一夕には実施できません。内外の外交評論家は米中関係悪化、経済学者は国際経済への悪影響を、軍事専門家は米中の偶発的衝突の可能性をそれぞれ語り始めましたが、筆者にはいま一つピンときません。なぜかというと、台湾情勢は近視眼的な議論ではなく、歴史の大局観に基づいて読み解く必要があるからです。

 筆者が初めて台湾を訪れたのは1973年に遡(さかのぼ)ります。当時は国民党の一党独裁。街で見かけた「中華民国」の地図には、「台湾省」と「共産党占領中」の本土の各省が描かれていました。知人の台湾人実業家は、日本製電子オルガンを解体して「台湾産」の電子楽器を試作していました。そんな台湾も今や民主主義を実践し、世界の半導体市場をリードしています。「隔世の感」とはまさにこのことでしょう。

 それらはあくまで台湾側の視点です。台湾問題の本質は、中国から見れば「一つの中国」という原則の核心、台湾から見れば「自らの正統性」の問題だからです。

 日中国交正常化が実現した72年以降、日米両政府は「台湾は領土の不可分の一部」とする中国の立場を「十分理解し尊重」、または「アクノレッジ(認知)」するだけ、という「曖昧(あいまい)戦略」で中国による台湾軍事侵攻を抑止してきました。

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